Q.韓国の伝統酒について教えてください。(1)

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A. ロシアのウォッカ、ドイツのビール、イギリスのウイスキー、中国の高粱酒、そして日本の日本酒。国ごとに代表的なお酒があります。

お酒は食文化から決して除外できません。

いい食べ物に似合うお酒がないならば、小豆のないあんまんのように、何か足りないと感じるでしょう。

韓半島(朝鮮半島)でも、かなり昔からいいお酒がたくさんありました。歌と踊りが好きなので、お酒は欠かせないでしょう。高句麗と新羅のお酒は東アジア全域で名声が高かったし、百済のお酒は玄海灘を渡って日本列島に伝えられました。高麗時代には大陸の蒸留技術が伝播されました。

朝鮮末期に至るまで韓半島には「ご飯の代わりにマッコリ」という濁酒、法酒のような清酒、清酒に様々な材料を入れた薬酒、清酒や濁酒を蒸留した蒸留焼酎、蒸留焼酎に果実や他の材料を沈殿させた混成酒などが韓民族の食卓に置かれました。

このようなお酒を大家では、家で直接作っていました。家門ごとに昔らか伝わってきたお酒を作る秘法があったようです。だから朝鮮時代の韓半島のお酒は数えきれないほど種類がたくさんありました。

このようなお酒が1980年代に至るまでおよそ100年間、痕跡を消す暗黒期が続きました。
莫大な酒税で収益を得た税務当局と規模が大きくなった酒類業者の利害関係が合致しながら伝統酒は見当たらなくなったのです。家ごとに密酒を作って飲みながら、税務当局に抵抗して伝来の秘法を維持する程度でした。

パク・チョンヒ大統領政権の時、アメリカのジェラルド・R・フォード(Gerald R. Forde)大統領の訪韓をきっかけに国家を代表する伝統酒が必要だという理由で大邱(テグ)の酒類業者、クムボクジュで慶州(キョンジュ)法酒を出しましたが、名前が慶州法酒なだけで、伝統酒とはかけ離れていました。実際に、慶州で法酒を作る職人は製造を禁止される寸劇までありました。

韓国の伝統酒は1988年のソウルオリンピックのおかげで再び姿を表わすことができました。
オリンピックを行うにも関わらず、まともなお酒がないのはおかしいと思ったのか、密酒で命脈を保ってきた民族酒の中から8個を選んで販売を許可したのです。1995年に入ってからは販売しないという条件でお酒を作るのは自由になりました。

伝統酒が再び市場に出てくる条件は作られましたが、すでに時代遅れでした。韓国のでお酒が好きな人は質よりは量、死ぬまで飲もうと言いながら暴飲する人が多かったからです。高価格な伝統酒を焼酎のようにたくさん飲めば、胃腸を悪くする前に財布の中身がすっかりなくなるでしょう。

それでも作って売れるだけでも感謝すべきです。少し遅れましたが、伝統酒を生き返らせるために酒税も半分に割引して、インターネットショッピングモールで売れるように道を開きながら伝統酒は、短期間で復元されました。

地域ごとに伝統酒の復元に力を注ぎ、種類もとても多くなりました。そのうちの国家が指定した8大民族酒を紹介します。

沔川杜鵑酒 (ミョンチョントゥギョンジュ) -チンダルレ(カラムラサキツツジ)の花びらで作ったお酒。チンダルレの花を杜鵑花(トゥギョンファ)と呼ぶのでお酒の名前も杜鵑酒(ドゥギョンジュ)になりました。沔川という名前が付ついたのは理由があります。昔、ポク・ジギョムという人が病気にかかって死にそうな状況でした。しかし、娘がお父さんの病気がよくなってほしいという一心で百日祈祷をしたところ、その姿に感動した山の神が現れて「峨嵋(アミ)山のチンダルレの花を摘んで沔川の水でお酒を作って飲めば治るだろう」と言ったのです。娘がその話を聞いて作ったお酒を飲んだポク・ジギョムは、本当に病気が治ったそうです。チョルチュク(クロフネツツジ)の花と似ていると言ってチョルチュクの花を摘んでお酒を作るとあの世に行く可能性もあります。


安東焼酒(アンドンソジュ)-高麗時代の韓半島を侵攻したモンゴル兵士は、蒸留技術を伝播しました。町ごとに蒸留焼酎を作る煙が立ちました。高麗末期、紅巾の乱を避けて安東に避難したコンミン王は、準備された焼酎を飲んでから、その味を忘れることができなくて安東焼酒を飲みたがったそうです。朝鮮王朝でも明の使節団の贈呈品目に入るほど名声を維持しましたが、1962年に酒税法が改正された後は、生産が止まってしまいました。しかし大家の嫁は自分たちが飲まない家醸酒(カヤンジュ)の秘法を命のように守り抜きました。


智異山菊花酒(チリサンククファジュ)-菊は昔から不老長寿の霊草と思われていたので、朝鮮王朝で王が臣下に与えるお酒に使われたお酒です。陰暦9月9日重陽節には菊花酒を飲む日にして、菊の花煎(ファジョン)と一緒に飲んだそうです。菊花酒を飲めば病気にもならないし長寿できるという伝説があります。菊に生地黄、クコの実を入れてもち米でお酒を作るので体にはいいでしょう。1900年代に脈が切れましたが、正確な考証に基づいて1987年に復活しました。


韓山素穀酒(ハンサンソゴクジュ)-百済の宮中のお酒で百済が滅びた後、遺民が悲しみを忘れるために作って飲んだそうです。お酒を作っていた嫁がお酒が上手に作れたのか確認するために、お箸に少しつけて飲んでも酔って立つことができなかったとか、試験を受けに行った人が韓山に着いたので休んで行こうとしましたが、お酒に酔って試験会場に行くこともできなかったと言われ「アンジュンベンイ(立てない人)酒」、というニックネームで呼ばれています。伝えられるエピソードには、人の家に入った泥棒がお酒に酔って本業を忘れて捕まったという話もあります。


金泉過夏酒(キムチョンクァハジュ)-金泉市、南山洞(ナムサンドン)に「金陵酒泉(キムルンジュチョン)」と呼ばれる過夏泉(クァハチョン)があります。このわき水でお酒を作れば、お酒がおいしいだけでなく、夏が過ぎてもお酒の味が変わらないといって「過夏」という名前が付けられました。金泉という地名も「過夏酒の名声が高くてお金をたくさん儲けたので、お金が湧き出る泉」という意味で付けられました。古くから旧正月にお酒を作って4月によく飲んだそうです。少し甘味がありながらも若干酸味が感じられます。それに、手で触ると粘り気がある程濃いお酒です。二日酔いにならないし、のども潤してくれます。適当な量だけ飲むならば神経痛にも利き目があるそうです。


全州梨薑酒(チョンジュイガンジュ)-朝鮮王朝の中葉から黄海道(ファンヘド)と全羅道(チョルラド)で作った名酒として有名でした。従来の焼酎に梨とショウガを加えるため梨薑(イガン)という名前が付きました。甘紅露(カムホンロ)、 竹瀝膏(チュクリョクコ)と共に朝鮮の3大名酒と言われています。梨薑酒に関しては別に紹介文を載せます。


慶州校洞法酒(キョンジュキョドンポプジュ)-校洞の崔富者の家で代々作ってきたお酒で、製造法がとても難しいため法酒という名前が付きました。このお酒を初めて作った人はチェ・ククチュンで朝鮮王朝の粛宗(スクジョン)の時、宮中料理を掌握する司饔院(サオンウォン)で、参奉(チャンボン)として過ごしたそうです。お酒を作る時に使う水は崔富者の庭の井戸水です。この井戸は水の量と温度が四季の間ほとんど一定で古くから水もおいしいと有名だったそうです。


ソウルムンベ酒 -ヤマナシの香りがすると言って、この名前が付きました。しかしお酒の製造にヤマナシが使われるわけではありません。他の添加物を入れずにアワとキビと麹で作るお酒ですが、アルコールの含有量が約40%で永久保管できます。民族酒を指定する当時、ソウルの伝統酒に編入されましたが、本来は北側の平壌(ピョンヤン)のお酒です。高麗時代には王が好んで飲んだお酒だと言われています。大同江(テドンガン)近隣の花崗岩層の水でお酒を作ったそうです。最近も外国から大事なお客さんが来れば、歓迎パーティーに出すお酒はムンベ酒です。南北首脳会談が開かれる時に乾杯するお酒としても使われるそうです。
  • Lim, Chul
  • 入力 2019-05-07 00:00:00

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