Q.冷麺(ネンミョン)は夏の珍味として開発されたのですか?

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A. 冷麺(ネンミョン)は夏の珍味として開発されたのですか?

天気が暑くなってきたので自然と冷麺を思い浮かべてしまいます。

冷麺は、かなり昔から韓半島の北部地方から伝えられてきたククス(麺類)です。南部では冷麺とククスを区別しますが、北部ではククス*と呼ぶそうです。平安道(ピョンアンド)や黄海道(ファンヘド)で一番たくさん食べたククスが冷麺だからだそうです。

* 現在も北朝鮮で冷麺というのは平壌(ピョンヤン)式ククスの異名である平壌冷麺(ピョンヤンネンミョン)だけです。残りの冷麺はすべてククスと呼びます。平壌式ビビンネンミョン(混ぜ冷麺)はビビンククス、咸興(ハムフン)式ビビンネンミョンはフェククス(刺身ククス)。

北朝鮮の研究によれば平壌冷麺は高麗時代に平壌市、冷泉洞(ネンチョンドン)に住んでいたダルセ夫婦が初めて作ったところから由来したそうです。

居酒屋の婿のダルセは、近所の老人からメミルスジェビ(そば粉のすいとん)が健康にいいという話を聞いてメミルカルグクス(平打ちの温そば)を作って売ってました。そして、そばを沸騰したお湯に湯がいて冷水で洗ったあと、水気を切ってトンチミ(大根水キムチ)の汁に混ぜて食べたそうです。その味が一品だったそうです。その後、冷たい井戸水を利用して「冷たいククス」を作りましたが、噂が広がって王様の耳にまで入りました。高麗の王様はこのククスを食べた後「天下一の食べ物」と褒めたという話が伝えられます。

朝鮮王朝に入っても粛宗(スクチョン)と高宗(コジョン)が食べたという記録があるほど歴史と伝統を誇る食べ物です。

最近は、夏の珍味として位置を確立しましたが、本来は冬に食べていた食べ物でした。
北朝鮮から下ってきて故郷に帰れない人々は寒い冬に、座るのが大変なほど熱いオンドル部屋に座って、歯が染みるほど冷たいトンチミの汁に麺を混ぜて食べながら故郷を懐かしがりました。

韓屋(ハンオク)の暖房システムであるオンドルが冷麺の産室という面白い主張もあります。オンドルはかまどに火を焚いて部屋の床を暖めますが、温度調節が難しいです。オンドル部屋は焚き口からの距離によって温度が全然違います。焚き口に近い場所は熱くて、遠い場所は冷風地帯です。熱い部屋の床に座った主人の奥様が熱さを冷ますためにお手伝いさんに頼んで冷たい冷麺を作ったという主張ですが、聞いてみると一理あったりもします。

とにかく夏に氷を手に入れるのが簡単ではなかった時代、上流層でなければ冷麺は羨ましく見つめるだけのもの、絵に描いた餅だったのでしょう。もちろん渓谷の冷たい水や日光があたらない深い井戸の冷たい水にククスを混ぜて食べることはありましたが、氷がぷかぷかと浮かぶ冷麺の冷たさとは比べられないでしょう。

もちろん冬の冷麺は、極暑の中で食べるすっきりした味とは、また別の感覚を与えてくれます。冷麺を作るソバも冬が食べごろです。

19世紀中盤に編纂された東国歳時記(トングクセシギ)は冷麺に対してこのように説明しています。
「大根キムチや白菜キムチにソバを巻いて、ここに豚肉を混ぜた物を冷麺と言う、春雨炒めと梨、栗、牛肉、豚肉を切った物と油、醤油をソバに混ぜた物をゴルドンミョン(骨董麺、ピビンククス)と言う。冷麺は平安道の冷麺が最高だ」

文献も平壌冷麺を賛美しているのを確認できます。

平壌冷麺は1920年代中盤、本格的に南下し始めました。この時期にソウルの料亭で平安道冷麺を取り扱い始めて人気を呼び、ソバを使う平壌冷麺の調理法が標準化されて韓半島全域に広がりました。特に当時の冷麺はソルロンタン(牛骨煮込みスープ)と一緒に出前料理の王座を争う食べ物でした。

朝鮮放送協会の文献に「京城(キョンソン)放送局(JODK)の設立初期に、ラジオで連続ドラマの生放送をしながら音響効果を出すために近い冷麺店で出前を頼みながら演技をした」という記録があります。
  • Lim, Chul
  • 入力 2019-05-20 00:00:00

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