Q.水原(スウォン)のワンカルビは本当に有名ですか?

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A. 京畿道の水原(スウォン)には華城(ファソン)があります。1997年にUNESCO世界遺産に指定された所です。

世界で初めて計画的に設計された新都市だという点が高く評価されたようです。ワンカルビについて質問しているのに、どうしていきなり華城の話をするんですかって?

朝鮮の第22代王正祖(チョンジョ)が華城新都市と行宮(ヘングン)を設立し、水原は朝鮮全土から物資が集まる要衝になりました。言い換えれば金持ちだったという話ですね。しかも、ものすごく大きな牛市場まであったそうです。牛市場で屠畜された牛が新鮮な肉を提供する上に、美味しく食べてくれる富裕層もいたため、焼き肉店が繁盛する基盤が整っていたということです。

1950年初め、韓国全域にいる牛が50万匹にも満たないころ、言い換えれば牛肉が高いときも水原にはカルビを焼いて売る料理店がありました。水原で最も規模が大きい「永同(ヨンドン)市場」の華春屋(ファチュンオク)という料理店です。

1945年、開業当時はカルビが入ったヘジャンクッ(酔い覚ましスープ、カルビウゴジタン)を売って、1956年からカルビ焼きを扱い始めたそうです。常連客から「こんなに大きなカルビをスープに入れないで火で焼いて食べよう」と言われたのが始まりです。焼き肉の味に惚れ込み、炭火でも焼いてみたり、味付けも変えながら工夫した末に「水原カルビ」という名前で売り始めたのです。

華春屋の水原カルビはすぐに有名になりました。国務総理を務めたチャン・テクサン(張澤相)がしばしば食べに行ったし、1970年代には、パク・ジョンヒ(朴正熙)前大統領などの高官たちもよく訪れながら全国的な名声を得ました。

初めて発売した当時、水原カルビは骨長が15~17センチに達するほど大きかったのです。そのため、ワンカルビという名称が付けられました。料理店の前に大きな火鉢を置きカルビを焼き上げた後、アルミニウム製の器に盛って客に出しました。カルビと一緒に肥料袋を破った紙をくれましたが、客は黄色い紙でカルビの両端を持って食べました。

1970年代末からソウル江南(カンナム)の開発でカルビ店が開店すると、水原カルビ店の料理人が「OOガーデン」に転職しました。そして料理店の前の大きな火鉢はなくなり、カルビの大きさも7センチほどに減りました。薬味も塩からしょうゆに変わりました。

華春屋は1980年に休業し再び開業をしましたが、草創期の映画を取り戻すことはできませんでした。水原カルビ店の主な舞台も永同市場一帯から東水原十字路などに移動しました。

現在は本水原カルビ、 佳甫亭(カボジョン)、 淵瀑(ヨンポ)カルビが水原の3大ワンカルビに挙げられています。

映画『エスクトリーム・ジョブ』がおよそ1600万人以上の観客を動員し人気を得ると、水原市はこのチャンスをつかむために水原カルビの広報映像を作ってSNSに掲載しました。

映画の中で水原ワンカルビが紹介されたわけでもなく、チキンの味を水原ワンカルビの味付けにして売ってただけです。そのようなことを突き詰める必要はありません。水原のカルビ店は幸運をつかんだも同然です。

余談ですが、刑事出身のキム・ボクジュン教授はYouTubeチャンネルで「捜査費が不足しているからと言って、映画のようにチキン店を買収して経営することは不可能であり、自分の場合にはさなぎを売る出店を1日借りて待ち伏せ勤務をした」という経験談を紹介しました。ところが「どの程度与えるべきか適当な量が分からず、大量に提供したため客が殺到し一瞬にして完売してしまった」と付け加えました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2020-02-20 00:00:00

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