Q.SBSのバラエティ番組『次から次へと続く話』の脱走犯について教えてください(下)

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A. 「有銭無罪、無銭有罪」」(お金(権力)が有る者は無罪になり、. お金(権力)が無い者は有罪になる)と叫んだチ・ガンホン

Ooh you're a holiday ev'ry day, such a holiday
Now it's my turn to say and I say you're a holiday
It's something I thinks worthwhile
If the puppet makes you smile
If not then you're throwing stones
Throwing stones, throwing stones
di di di di di di di di di di di di di di di di di di di di
おお、あなたは休日です。毎日そんな休日です
今度は私が言う番で、私はあなたが休日だと言います
それは私が価値があると思う何かです
もし人形があなたを微笑ませたら
もしそうでないなら、あなたは石を投げます
石を投げましょう、石を投げましょう
ディディディディディディディディディディ

https://www.youtube.com/watch?list=RD_hQ1HQh9_JM&v=_hQ1HQh9_JM&feature=emb_rel_end
1967年に発表された3人組グループBeegeesの「Holiday」です。
世界的にヒットした歌ですが、韓国では脱走犯のチ・ガンホンが人質事件を起こして死ぬ直前に聞いていた曲で、多くの人の記憶に残っています。

チ・ガンホンが脱走したのは1988年のソウルオリンピックの聖火が消えた直後の10月8日です。25人の囚人を乗せて中部(チュンブ)高速道路を走っていた護送バスで12人が集団脱走を敢行しました。受刑者が「おしっこがしたい」と言うと、刑務官が小便箱を渡した瞬間、受刑者が一斉に立ち上がり刑務官と乱闘し脱走が始まりました。

全国は非常事態になりました。風俗店で酒を飲んでいて捕まるなど、ほとんどがすぐに逮捕されましたが、5人*は逮捕が容易ではありませんでした。

* 5人のうち、キム・ギルホは人質事件に加わらず逃亡生活を続けていましたが1990年7月に逮捕されました。

当時、チ・ガンホンが目標とした場所は、チョン・ドゥファン元大統領の家だったそうです。人質たちに「ヨンフェグン(チョン・ドゥファンの家)に行こうとしましたが警備がひどくてやめた」と話したそうです。「不条理な社会を告発し無実を晴らす」というのがチ・ガンホンが脱走を敢行した理由だったのです。

犯罪者が感じる社会不条理とは何ですかって? 再犯の危険性のある者は、刑期が終わっても刑期より長い期間保護処分をする当時の社会保護法が不条理の温床でした。

実際、当時の判決内容を見ると自転車1台を盗んだことで懲役3年、保護監護10年(事実上13年刑)が宣告されました。チ・ガンホンも7回にわたって556万ウォンを奪取した容疑で、17年(懲役7年、保護監護10年)が閉じ込められています。一方、チョン・ドゥファンの弟のチョン・ギョンファンはセマウル本部長を務めながら600億ウォンを横領した罪で懲役7年が宣告されます。保護監護期間は全くなく、しかも3年余りの刑務所暮らしをした後、仮釈放で釈放されます。罪を犯して刑務所に入れられた囚人であっても怒りがこみ上げるほどの状況でした。

チ・ガンホンをはじめとする4人は一般の家に一晩泊まっていく方法で逃走を続け、北加佐洞(ブクカジュワドン)のある家庭に入りました。夫婦と4人兄弟が住んでいる家でした。

脱走犯たちが「善良に見え、害を及ぼさない」と繰り返し言っていたにもかかわらず、家族の安全が不安だった父親は、居間を守っていた犯人が、居眠りする間に家を出て交番に届けました。明け方4時30分ごろには警察官1000人が動員され、家の周辺を鉄壁のように取り囲みます。その時から人質事件が起こりました。そして人質事件はテレビの生中継で全国に生々しく伝えられました。

テレビカメラの前でチ・ガンホンは絶叫するかのように叫びます。

「大韓民国の不正を明らかにして死ぬ! 永登浦(ヨンドゥンポ)刑務所で死に損ねたのが無念、有錢無罪、無錢有罪の我が国の法がこうだ!」

チ・ガンホン一味が要求したのはメディアでした。
空中に向けて銃を2発撃った後「すべての報道機関を呼んでほしい」と叫びました。

脱走犯の家族や教化に長けているという僧侶が動員されて説得すると「教化委員も聖職者も、君たちも有銭無罪に責任がある」と述べたそうです。その後「私たちが出ていけるようにワゴン車を用意してほしい」と要求しました。

チ・ガンホンは一味のカン・ヨンイルを呼び、ワゴン車が準備されているかどうか確認しろと送り出します。余裕を持って外に出たカン・ヨンイルを警察が捕まえることはできませんでした。そうしていたら中でどんなことが起こるか分からないからです。

ワゴン車がないのを見て、カン・ヨンイルが家に戻ろうとしたところチ・ガンホンが足下に銃を撃ちました。

チ・ガンホン(当時35歳)を除いて皆30代初めのグループの中で一番可愛がっていたカン・ヨンイル(21歳)を「お前でも命を救え」と強制自首させたのです。すると一味のうち、アン・グァンスル(22)がチ・ガンホンから銃を取り、ハン・ウィチョル(20)と一緒に極端な選択をします。ハン・ウィチョルは自首するよう説得しに来た恋人に「僕は自殺するから、お前は他のことは考えずにうまく生きろ、そして僕のことを早く忘れろ」と話したそうです。最初から、彼らは生きていくつもりがなかったのです。

チ・ガンホンはこんな状況でBeegeesの「Holiday」のカセットテープを要求します。

「僕は今とても幸せだ。好きな音楽があるし言いたいことを言って自分で命を絶つこともできる。僕は幸せな乞食になりたかった厭世主義者だ!」

「Holiday」を聞いていたチ・ガンホンがガラスを割って首を切ると、母親と弟たちが出て行った後、一人人質になっていた22歳の娘が悲鳴を上げました。人質の悲鳴にスナイパーが2発発射しました。

人質事件の顛末を見ると、チ・ガンホンがなぜ未だに話題になるのか理由が分かります。
チ・ガンホン一味は裏話も豊富に残しています。

窓の前で人質の首にナイフを突きつけながらも、耳打ちで「見せつけるために当てているのであって絶対にけがはしない」と安心させたそうです。

実際、チ・ガンホン一味は人質事件を起こす前、数か所の家に寝泊りしましたが1人もけがをしていません。一晩を過ごした後、朝食を食べて離れながら「お世話になりました。僕たちが離れたら通報してください」と感謝の意を表したそうです。人質事件を起こした家では、お金を渡して「悪いお金ではないから、あなたたち必要なものを買って使いなさい」と子どもたちに渡したそうです。

人質事件を起こした唯一の生存者、カン・ヨンイルは検察が15年を求刑しましたが、彼らが寝泊まりした家族が嘆願書を書いてくれたおかげで、7年の刑にとどまりました。そして人質事件が起こった翌年、悪名高かった社会保護法が改正されました。

SBSで放送された『次から次へと続く話』でチ・ガンホンをモチーフにした映画『ホリデイ』も人気だそうです。 いまだに「有銭無罪、無銭有罪」という犯罪者の叫びが韓国社会に響いているからでしょう。

お金が価値尺度の根本である社会では「有銭無罪、無銭有罪」だけでしょうか?

無銭入隊、有銭免除
無銭失業、有銭就職
無銭非婚、有銭結婚
  • Lim, Chul
  • 入力 2020-10-30 00:00:00

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