Q.日本にはないチョンセ(伝貰)という制度はどのように生じたのですか?由来を教えてください。

답변게시판
A.
本当に韓国だけの特別な住宅賃貸方式ですよね。なんといっても、ウィキペディアに英語で「Jeonse」と書かれるくらいですから。韓国だけの制度だから、1970~80年代にドイツなどへ留学した法学生たちが博士号の論文のテーマに多く使ったといいます。外国の教授はこの制度をよく知らないから、学位を取得しやすかったのでしょう。

アメリカ、ヨーロッパ、日本など多くの国で一般的な住宅の賃貸方式は毎月家を借りた対価として家賃を支払うものでしょう。家賃を払わないことに備えて保証金を預けたりもします。

伝貰(チョンセ)はこれとは全く異なります。伝貰金​​として大きな単位のお金を預けると契約期間中に家賃を一切支払う必要がありません。だからといって、伝貰金が保証金というわけでもありません。契約期間が終わって家を空ける時が来れば、伝貰金をそのまま返してくれます。

他人の家を借りて住んでいるのに、出ていくときには元金をそのまま返してもらえるなんて、とてもお得ですよね。家主が天使なのかって?そんなはずありません。こうなると、家主が家を貸す代わりに何を得るのかが気になりますよね。伝貰金から得る利子が家賃を上回る場合はどうでしょうか。わかりましたでしょうか。毎月家賃を受け取ることよりも大金の伝貰金を貰い資金運用したほうが明らかに得なため、家主が家全体や部屋の1~2個を貸し出しているのです。

伝貰は高い利子と高騰する住宅価格が作った時代の産物です。住宅価格の上昇が下り坂になりながらソウル近くの都市では、マンション価格が低下し始めて、さらには銀行から受け取る利子収入もわずかになり、最近では賃貸住宅の多くが月単位で家賃を支払う月貰(ウォルセ)物件で、伝貰物件が貴重である事実がこれを裏付けています。

伝貰は第二次世界大戦が終わって南北が分かれた後、ソウルに人が集中し一般化し始めたと見られています。もちろんその前にも全くなかったわけではありませんが、共産主義体制のもとで暮らすことのできなかった北朝鮮の住民の移住により住宅が不足したことが決定的な原因でした。ここへ1948年に農地改革が実施されてお金を手に入れた田舎の土地金持ちが大都市に家を買ったりして住宅価格を煽ったことも一役買いました。

住宅価格が高価になると中産階級も一人の力で家を買うことはできなくなりました。かといって銀行が不足しているお金を貸し出すほど融資システムが整っていたわけでもありませんでした。そんなわけで、部屋が4つある家を買っても2部屋は貸し出すことになるのですが、すぐに家の代金が必要なので、借り手から一度に大金を受け取るのです。利子がすごく高かった時代なので貧しい人は伝貰資金を調達することも困難な時代でした。

伝貰金の準備ができない人は、毎月家賃を支払う月貰の部屋を見つけるしかありませんでした。つまり50~60年代のソウルの風景を見ると、伝貰で住んでいる人は、それさえもある程度余裕があったからと見てもよいですよね。当時、学生に家の状況を尋ねるアンケートで住居形態に関する項目があったのですが、①自家②伝貰③月貰で区切られていました。

朝鮮戦争が終わった後、ソウルなど一部の大都市で行われた伝貰制度は、全国的に拡散されました。戦争で家がつぶれて住宅が不足している状況で、北朝鮮の入植者が増えたのが直接の原因だと見ています。かといって、すべての家が伝貰のみあったということではありません。家主を含めて4~5世帯が一緒に住んでいる場合を見ると、1世帯は伝貰で残りは月貰の場合、すべて月貰の場合など、さまざまな形態がありました。

これは、住宅の構造や家主の財産の程度、資産運用の型に依存します。家主が大金を必要とするなら伝貰が増えますし、毎月安定した収入がほしいなら月貰を好むでしょう。

部屋1~2個だけでなく家全体を貸し出す伝貰が固まったのはソウルなどの大都市にアパートが増え、住宅が財産増殖の手段として脚光を浴び始めた1980年代半ば以降です。アパートの場合、部屋の1つだけを貸し出すことは非常に難しいです。キッチンとバスルームを共有しなければならなので下宿をするならともかく、アパートの部屋の1つを貸し出すことは不可能に近いです。だから財産があまりない人は、自分のアパートを貸し出し、自分はもっと質の悪い家を伝貰で、または月貰で住んでいる場合も多かったのです。

なぜこのような苦労をするのかって?1980年代末からアパートの価格が高空行進を始めたからです。1986年に7000万円程度だったアパートの価格が1990年には2億5000万ウォンまで上がりました。アパート一軒があれば伝貰金とアパートを担保に銀行から融資を受けたお金を足してアパートをもう一つ買い、2~3年後には家の値が上がるため巨大な高収益が確保されていました。

家で財産を膨らませる財テクでなくとも、利息が高かった時期だったので、伝貰金を利子の高い第2金融圏に預金するだけでも、家賃を貰うより財産を増やすことが簡単でした。

結局、韓国のユニークな住宅賃貸方式である伝貰とは、住宅価格の上昇と高い金利に保証された制度に過ぎないという事実を知ることができます。伝貰は経済的弱者には決して有利な制度ではありません。

☞ 伝貰は少なくは数千万ウォンから多くは数億ウォンにのぼるお金が行き来するので、借り手側が損をする場合もあまたに起きました。最も多いのは家主を詐称した人と伝貰契約を結んで大金を渡した場合です。破産する状況に直面している家主が、家一軒を対象に2人と契約した後に逃げた事件もありました。

家主が借金をしたまま、伝貰金を持って逃げてしまった場合も問題になります。銀行や債権者が家を差し押さえる場合もあるので、伝貰金が帰ってこない危機に立たされるのです。家に伝貰権を設定したり、住宅賃貸借保護法の規定に基づく所定の手続きが完了したら、法的保護を受けることができますが、ややもすると、これを怠った場合はそのまま伝貰金はあなたの手からなくなります。

☞ 伝貰価格は住宅価格の上昇率や住宅供給量に応じて変わります。興味深い部分は、住宅価格が落ちると伝貰金が上がるということです。住宅所有者が大挙して月貰に転換し、伝貰の量が少なくなるからです。ひどい場合は伝貰金が住宅販売価格の70%に迫ることもあります。2014年9月現在もそうです。 KB国民銀行の調査結果を見ると、全国のアパートの伝貰価格は売買価格の69.1%に達しています。国民銀行がこの統計を作成し始めてから、最も高い値は1998年の69.5%です。当時も、通貨危機で住宅価格が低下した時代です。
  • Lim, Chul/写真=毎日経済
  • 入力 2014-09-18 16:00:00

Copyright O2CNI All rights reserved.

目錄


      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア