「出藍の誉れ」…「20年師匠」の三菱自にエンジン技術を伝授した現代自

イ・ヒョンスン斗山グループ顧問の回顧譚 


  • イ・ヒョンスン斗山グループ顧問/写真=毎経DB



現代自動車のエンジン国産化の立役者であるイ・ヒョンスン斗山グループ顧問は、10年前に現代自動車副会長を辞退した理由を明らかにした。母校のソウル高ユーチューブを通じてだ。

イ顧問は現代自動車のソウル高人脈の長兄格だ。イ顧問はソウル高21期生であり、チャン・ジェフン現代自動車代表取締役は35期生、ユン・ヨチョル副会長は23期生だ。チェ・ウンス現代持続可能経営委員会委員長(社外取締役)もソウル高の卒業生だ。イ・ヨソン前現代ロテム副会長(21期生)とヤン・スンソク前現代自動車代表(23期生)などもソウル高を出た。

イ・ヒョンスン斗山顧問は最近、ソウル高卒業生のユーチューブで2011年に現代自動車を去った理由について明らかにした。同氏は当時、現代・起亜自動車の研究開発総括担当副会長だった。イ顧問が明らかにした辞任の理由は、鄭夢九(チョン・モング)現代自動車グループ名誉会長との「意見の衝突」だ。

イ・ヒョンスン顧問は「ベロスターという車でしたが、鄭夢九(当時)会長がデザインが気にらない」とし、「翌日は新車発表会だが、鄭会長が発表前日に車の形が好きではないと語った」と伝えた。イ顧問はベロスターのデザインに対する会長との意見衝突で会社を去ることになったという。

イ・ヒョンスン顧問は韓国自動車のエンジン開発の生き証人だ。米GMで働いていたが1984年に現代自動車に入社して、エンジンの国産化プロジェクトを担当した。

当時、現代自動車は日本の三菱自動車と提携を結んでおり、エンジンや変速機などを生産した。このような状況で、故鄭周永(チョン・ヂュヨン)現代グループ会長がエンジン国産化プロジェクトを推進した。もちろん周辺ではほとんどが反対した。三菱の会長が鄭周永会長に「あなた方は(イ・ヒョンスン)博士が一人では、(独自エンジンは)無理だ。ロイヤリティを半分に負けてやろう」と、現代自動車側を懐柔したほどだった。

イ顧問は「鄭周永会長は独自エンジンを製作してこそ、海外で競争できるという考えを持っていた」とし、「鄭周永会長は推進力がすごかったし、私に白紙小切手を与えてエンジンを開発できる研究所の設立を指示した」と明らかにした。

イ顧問は待機発令の苦い記憶も召喚した。三菱が現代自動車との提携関係を結んでいた頃で、エンジン開発に対する三菱側の報復だったというのがイ顧問の説明だ。

イ顧問は「ドイツ出張に行ったが、三菱の人々が企業内の親三菱を糾合して私追い出した」とし、「退いてはだめなので、廊下に机を置いて出勤闘争した」とした。同氏は「鄭会長はそのとき現代電子を作るために利川におられたが、その隙に三菱側でこのような行動をおこした」とし、「5カ月後に鄭会長がこのニュースを聞いて、私は原隊に復帰することになった」と語る。

現代自動車は1991年1月1日に独自エンジンであるアルファエンジンの生産に成功した。 2000年代初めにダイムラークライスラーおよび三菱と設立した合弁会社GEA(Global Engine Alliance LLC)を通じて、両社に「シータ1」エンジン技術を移転する。イ顧問は「ディスク2枚に設計図面を入れて数千億ウォンを受け取り、エンジン技術提携を行った」とし、「特に三菱は20年近く技術を教えてくれた先生なのに、弟子が先生を教えることになった」と語った。
  • 毎日経済 | チョン・スンファン財界・ESG専門記者
  • 入力 2021-07-24 16:33:14