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第12次世界韓商大会、ホン・ミョンギ会長

34年間のサラリーマン生活終えて2万ドルで事業立ち上げ…51歳遅咲きの創業 

  • 第12次世界韓商大会、ホン・ミョンギ会長
「父の長所についてお話しますか?短所からお話ししますか?」

白髪混じりのデュラコート社ホン・ミョンギ会長(79)の人生の軌跡をたどるためには、彼の父親が誰なのかを尋ねるほかなかった。米国移民と塗料製造会社を経営することになった理由を尋ねると、「父の仕事は私に合わないと思った。反対のことをやりたかった」という答えが返ってきた。

今年の第12次世界韓商大会の大会長役を務めたデュラコート社ホン・ミョンギ会長とは先月30日、韓商大会が開催された光州で対面した。デュラコート社は建築用鉄筋の腐食を防ぐための「セラナメル」という塗料ブランドで有名だ。ホン会長が1985年に51歳で創業し、年間売上高2億5,000万ドル、米国市場シェア1位を走る「強小企業」だ。

ホン会長の父親は平和新聞(大韓日報)の代表、首都劇場(スカラ劇場)の代表を歴任し、東洋最大の安養総合撮影所を設立した映画人のホン・チャン(洪燦)氏だ。まぜホン会長は父親と反対の道を歩むことにしたのだろうか。

「父は『自分の足でしっかり立つんだ』と、独立心を強調しました。すべてのことは努力すればかなうと」

父親のホン・チャン氏はホン会長が1歳の時、彼の実母と離婚する。「祖母の手で育てられました。その後、5歳の時に父が再婚して義理の母を迎え、弟を出産したので私が家を出るのが良いと考えました」

中央中学校に通っていた13歳の時に家を出た。日本に密航しようと釜山に下り40日間を暮らした。「亡き父はけっきょく釜山で私を探し出しましたよ。しかし家を出るべきだという考えは頭から離れませんでした」。彼はソウル大学文理大の受験に失敗するやいなや米国コロラド州立大に進学したが、ハリウッドから近いUCLAに移った。ハリウッドと共同で映画製作を推進していた父親の意思に従ったのだ。

しかし父親の映画事業は計画どおりにいかず、結局父親は1964年に火病(精神疾患)で息を引き取った。父親の浮沈の激しい人生を見てきた彼は卒業後、安定した職場を選んだが昇進差別で挫折した。サラリーマン生活を始めてから34年目の1985年、蓄えた資金2万ドルをはたいてデュラコート社を設立した。51歳のときだった。

「看護士として働いていた妻が『今がそのとき』と激励してくれたんですよ。それが大きな力になりました」。事業は大成功した。わずか6ヶ月で150万ドルを稼いだ。秘訣は研究開発(R&D)だった。「事業を始めてみると品質が基本なんですね。他の製品とは異なる特性が無ければなりません。研究開発で差別化できました」。デュラコート社は色が変わらないように、紫外線の影響を受けない塗料製品を市場に出した。品質保証期間も40年とした。

とは言え、品質だけでは大企業との競争に勝てない。ホン会長は中小企業が大企業に勝つことのできる2点を挙げた。納期を決められたとおりに行い、問題が起こった時はすぐに解決することだ。デュラコート社を成功に導いたもう一つのキーワードは信頼だ。住友鉄鋼はホン会長がデュラコート社を創立した当初から塗料を納品してきた「創業顧客」だ。しかし住友鉄鋼の日本人経営陣は、ホン会長を見ると「You、Koreans(あなたのような韓国人は)」と呼び、見下した。ホン会長は「信頼」でこれを克服する。

「一度はオーストラリアのBHP社から住友への納品量の7倍の注文が入りました。悩まないわけがないでしょう。しかし拒否しましたよ」。デュラコート社が住友との信頼関係を守ったという噂が業界にぱっと広がった。デュラコート社に対する信頼がつのるにつれ、住友の「You、Koreans」も消えた。ホン会長は若い事業家に言いたい言葉も「信頼」だと語った。1992年は彼の人生でまた一つの転換点となった年だ。

「その年にロサンゼルスで暴動が発生し、韓国人コミュニティが炎上する光景を目の当たりにしました。暴動を見ながら、これからは私たちが米国社会でも主導的役割を果たす時が来たと感じました。差別を乗り越えられるように人を育てなければと思いました」

今回の韓商大会にも全世界から130余名に達する若い次世代韓商たちが集結した。「これまでの第一世代のリーディングCEOと次世代韓商が融合する場所が世界韓商大会です。これからは次世代韓商たちが世界をリードするでしょう」

ホン会長はチェ・イノの小説「商道」に出てくる「小人は商売を通じて利文を残すが、大人は取り引きを通じて人を残す」という言葉が好きだ。彼は「明るい未来財団」を設立し、1000万ドル(約114億ウォン)を韓国人社会に寄付すると約束し、これまでに700万ドル(約80億ウォン)を寄付した。

■ He is…
△1934年ソウル出生 △1953年中央高卒業 △1959年UCLA化学科学士 △2002年米国ラシエラ大学人類福祉学名誉博士 △2001~2003年第10期民主平和統一LA協議会会長 △年韓国科学技術研究院諮問委員 △2010年キム・ヨンオク在米同胞研究所理事長 △2011年国民勲章無窮花賞受賞 △2013年世界韓商大会会長 △デュラコート会長
  • 毎日経済_キム・キジョン記者/写真=イ・スンファン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2013-11-03 18:22:18




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