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[モノの哲学] 財布 - ガラスの財布と13月の爆弾


  • [モノの哲学] 財布 - ガラスの財布と13月の爆弾
「財布」というものは、「お金」の出現とともに始まったものだろう。しかし、お金にも種類がいろいろある。最初の貨幣は貝の殻や種もみのようなものだったという。このような「原始的貨幣」ではなくとも、東アジア文明の基礎が固められた中国春秋時代には、最初の貨幣として「布銭」と「刀銭」が使われた。布銭は「シャベル」で、刀銭は「刀」だ。鉄器文明の初期だったため、鉄で作られた道具が非常に貴重だったのだ。

シャベルと刀を入れる財布はなかっただろう。したがって、財布の歴史は、「コイン」が発明された頃から始まったことだろう。初期の財布の形がどんなだったかは、想像に難くない。コインが最初に発明された紀元前7世紀の西アジア地域でも、その財布は子供の頃の町内のタバコ屋おばあちゃんが腰につけていた「胴巻」だったのではないか。

紙のお金が生じ、カードなどの信用貨幣が主にながら財布の形は、今私たちが使っている四角い形に変わった。ポケットにすっぽり入ったり、手で持ち歩くことができる大きさであり、主な材料は破れにくい革や繊維だ。

しかし、胴巻であれ今通用するの財布であれ財布作成のポイントは簡単にお金を引き出すことはできても、内部を他人に露出させない「隠蔽術」だ。ここには非常に長い間意識されていないタブー意識も浸透している。昔から富は「福」であり、福は「福が出ない」ようによく隠さなければならないからだ。

クレジットカードや携帯電話カードのような貨幣形態の画期的転換は基本的に「私の福」を非表示にすることができない時代の条件を喚起する。いくら良い革と技術で作られた豪華な財布だとしても、透明で内部が透けて見える「ガラスの財布」の運命を免れることはできない。

サラリーマンの財布は、今財布に入ったお金だけでなく、過去のお金も、将来的に稼いだお金も、すでに国に公開されているため財布の伝統的任務を全うすることができない財布だ。「私の福」が公開されているという現代の条件は、公的システムの合理化の結果でありながら、どこか気乗りしないものだ。

サラリーマンに「13月のボーナス」と呼ばれていた年末調整が「13月の税金爆弾」という名前に変わっている。財布に「福」がボーナスで入ってくると思っていたシステムだった、かろうじて残っていた「私の福」まで国が奪っていくように感じる。実在していようと心理的なものであろうと、国民が自分の財布を「福」ではなく「爆弾」と感じるようにする社会構造であれば、何か深刻な問題が進行している社会であることは間違いない。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-01-23 15:45:02




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