富士フィルムコリア、飯田年久社長 …ミラーレスカメラ市場「すくすく」

韓国、高品質カメラだけ生存 

「人は私の体のなかには緑色の血が流れていると言います」。1990年代、フィルムカメラ時代には遠くから写真店の看板だけを見ても、どの会社のフィルムを使う店なのか分かった。その時はフィルム会社が写真店の看板製作を後援したので、パトローネの色に合わせて写真店の看板がデザインされた。コダックフィルムを使う写真店は黄色いパトローネにならって黄色に、富士フィルムを使う店は緑色のパトローネの色で分けられる時代だった。去る6月、富士フィルムエレクトロニックイメージングコリア(富士フィルム韓国法人)の社長になった飯田年久社長(46)もあの時のあの時代の人だ。

最初から突発質問を投げかけた。「カメラが果して10年後にも存在するようですか?」

これに飯田社長は「私が1991年富士フィルムに入社して初めての仕事は海外にカラーフィルムを売ることでした」とし、「その時は誰が20年後にフィルムが消えるか知っていたでしょうか」と笑いながら反問した。

飯田社長はしかし、すぐに真顔で答えた。「技術は急激に変わっていますが、カメラは消えないでしょう。子供が生まれ、学校に入学し、重要な家族行事を切り取るのにスマートフォンカメラで撮ることはできないでしょう」

スマートフォンに押されて低仕様カメラは消えるだろうが、高仕様カメラの需要は絶えないと言うのが彼の持論だ。彼は去る6月から、富士フィルム日本本社で電子映像と光学器機事業部の営業マーケティング総括を引き受けつつ韓国法人の社長を兼ね始めた。韓国には四半期ごとに一回ずつ訪問するが、日本では毎週末娘を連れて写真を撮りに出かけるほどカメラを愛する。

飯田社長は「部署総括を引き受けながら‘ひと月1000枚’と言って、毎月1000枚ずつ写真を撮るキャンペーンを行っている」とし、「高仕様Xシリーズ富士カメラは1秒に7枚ずつ連続撮影が可能なので、主に連続撮影機能を利用する」と自社カメラの自慢を始めた。まわりでは彼をさして富士フィルムの「緑色血が流れる人」と呼ぶことも過言ではないとしたかった。

そんな努力のおかげで富士カメラは韓国市場でも早い速度で成長している。サムスンとソニ-が約80%の市場を占有しているミラーレスカメラ市場で、後発走者である富士フィルムのシェアは去る第3四半期時点で4%まで伸びた。はっきりした3位がない韓国市場で、年初1%にとどまった富士フィルムの比重が急速に上がっているわけだ。

飯田社長は「写真作家を含めたカメラ専門家たちが、富士カメラを使い始めたということが重要な変化」とし、「専門家は富士カメラが他のカメラに比べてシャッター音が静かなので、重要な瞬間をつかみ取るのに有利だと評価する」と明らかにした。専門写真作家たちが富士カメラで撮った写真アルバムまで準備して来た彼は、「この写真をちょっと見てください」と、「富士がフィルム会社から出発したからこんな鮮かな色感をつかみ出すことができる」と強調した。

彼は特に韓国カメラ市場に対する信頼がある。飯田社長は「人々が韓国は‘大変な市場’と言うけれど、そうではなく‘先進市場’であるだけ」と強調した。

韓国ではハイクオリティーのミラーレスカメラを使う人口が、いわゆる「トクタギ」と呼ばれる低仕様コンパクトデジタルカメラの使用人口を追い越したので、それだけ市場性があると見たわけだ。飯田社長は「結局、カメラは消えないだろう」とし、「より大きなセンサーと、より敏捷なレンズを装着した高品質カメラのみが生き残るだけ」と強調した。

■ 飯田年久社長は…
△1967年生まれ △慶応大卒業(経済学) △1991年、富士フィルム輸出本部感光材料グループ △1995年、富士フィルム輸出本部光学器機グループ △1997年、イギリス富士フィルム駐在 △2005年、富士フィルム電子映像事業部 △2013年、富士フィルム電子映像及び光学器機事業部営業マーケティング総括兼富士フィルムエレクトロニックイメージングコリア(富士フィルム韓国法人)社長
  • 毎日経済_ハン・イェギョン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2013-12-22 17:00:05