トップ > コラム > オピニオン > [コラム] 韓国の「国軍の日」は、なぜ10月1日なのか

[コラム] 韓国の「国軍の日」は、なぜ10月1日なのか


  • [コラム] 韓国の「国軍の日」は、なぜ10月1日なのか
『われらは大韓国軍』という歌がある。この歌の歌詞に少しヒントになりそうな内容が含まれている。

まず歌詞を見てみることにする。

「栄光の祖国の前に 誇らしいわれらが勇士
国のためのやりがいに 意気も高々に
生きて民族の花 死んで民族の星
あっぱれ 新しい歴史の先鋒に立った大韓の健児」

ヒントとなる単語は「先鋒」だ。当時、朝鮮半島は、米国とソ連の合意により38度線を境に南北が割れた状態だった。38度線は、南北両方の国境線であるわけだ。

戦争が起きて、敵陣を突破するときの分水嶺が38度線だったわけだ。そこで、兵士たちが先鋒に立って38度線を突破した日、その日が国軍の日に決まった。

どの部隊が突破したのかというと、公式記録では、東部戦線で陸軍第3歩兵師団23連隊3大隊が38度線を突破して北に進撃したと示している。

国軍の日が10月1日に決まる前、韓国軍には各軍ごとに別々に記念日があったとそうだ。陸軍は10月2日、海軍は11月11日、空軍は10月1日。このように分かれていた記念日がこの日に統合されたのだから、その栄誉を占めたくもなるというものだ。

そのため「初めて38度線を越えた部隊はわが部隊だ」という主張が出てきた。3大隊のなかでも9中隊の足が先に38度線を越えたとも言い、10中隊が先を行ったという話もある。さらには、3大隊以外の1大隊第1中隊がはるかに先を進んでいたと主張したりもして、最初から首都師団がとっくに38度線より北に進撃していたという説もある。

とにかく前線で戦った陸軍師団は全部自分たちが決死隊を送って、すでに9月30日頃には38度線を越えていと声を高めた。韓国軍の創軍元老である老将軍も手記で国軍の日の由来となった3師団の38度線突破は間違っており、自分たちの師団が最初に北に進撃したと記録している。

朝鮮半島全域で戦闘が展開されていた当時、各軍が北緯38度に引かれた境界線をいつ超えたか正確に知ることは難しい。ただし、第3師団23連隊が公式命令を受けて、作戦を開始したと見るのは妥当だと思われる。

国軍の日は1956年に正式に国家記念日に指定されており、1976年にはカレンダー上で休日を示す赤い数字で表示された。しかし、祝日が多すぎて、事業に支障が生じるという企業の反発により1990年に祝日から外された。

もちろん、ほとんどの軍隊では、この日に休む。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-10-01 08:00:00




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア