映画『弁護人』ヤン・オソク監督、政治映画ではなく一人の男のドラマ

1000万観客突破を目前に 

映画『弁護人』が1000万観客突破を目前にしている。封切り前から起こった政治的論議を払拭させ、速い速度で観客を集めている。昨年の12月18日の封切して後、今月9日までに830万人がこの映画を見た。『アバター』よりも速い速度だ。このような趨勢なら、20日前後に1000万観客突破が予想される。

いま忠武路(チュンムロ)の目は「2014年最初の1000万期待作」を作ったヤン・オソク監督(45)という新人監督に注がれている。「イプポン(デビュー作)」で一気に「大当り」を破裂させた幸運がうらやましいだけではない。政治的対立が深刻なわが国で、好き嫌いが分かれる盧武鉉という実存した政治家を映画化したにもかかわらず、驚異的な商業的成功を収めた底力に対する驚きと疑問が大きい。9日、ソウルの三清洞のあるカフェで会った彼は、突然降り注ぐスポットライトが負担なのか、ぎこちない笑いを浮かべていた。写真撮影を始めるやいなや、カメラの目をしきりに避けながら「とまどっている」と言った。

とは言え、映画の話を始めるやいなや変わった。多用な比喩と引用を使いながら説明する。生まれつきの話術家だった。

「映画製作の前から誤解と偏見が待っていましたよ。議論は十分に予想しました。メッセージの力を信じましたよ」。彼は『弁護人』は政治映画よりも『インサイダー』(マイケル・マン監督)のような、信念を持った一人の男のドラマに近いとした。

「チャールズ・ダーウィンがガラパゴス島に行って、その短い時間に進化への洞察を得たように、人はみんな‘ガラパゴス選択’の機会が来ます。釜山の収入1位だった弁護士があるきっかけで人権弁護士にジャンプする瞬間のように、ドラマチックな素材はないじゃないですか。それ以後、自分自身を覚醒させた信念を維持し、守っていく姿を描きたかったんです」

彼は「誰でも数時間、数日は憤怒できますが、生涯それを保つのは難しい。一人の人間を変化させた、その変化の密度を描きたかった」と説明した。

彼は最初に『弁護人』を構想したのは高麗大学哲学科に在学中の1992年だ。商業高校出身の国会議員が権力を怒鳴つける姿は彼にカタルシスを与え、人間的好奇心を呼び起こした。その後に関連するニュースを集めて本を読みながら、記録を積み上げていった。1995年に大学を卒業し、放送局、映画制作会社、アニメ制作会社を経つつ、その合間合間に作業を行っていたが、2002年に故人が大統領に当選してからシナリオを中断した。ホコリまみれのシナリオは、2012年に劇的に世の中に出ることになる。

彼は2011年、金正日北韓国防委員長の死後の韓半島の危機状況を描いたウェブトゥーン(ウェブ漫画)『スチールレイン』にストーリー作家として参加した。当時、このウェブトゥーンの映画化に興味があったウィドスフィルムのチェ・ジェウォン代表と話をしていたところだった。

「‘金正日’が死んでこれ以上話にはならないと拒絶して、持っていた『弁護人』の話を聞かせてたら、はっとしたように良いねとおっしゃるんですよ。数ヶ月すぎて、私に監督も引き受けろとも。もともとは‘独立映画’で行こうとしたんですが、とつぜんソン・ガンホさんが出演を承諾して、主流映画に形を変えました。多くの偶然が重なって、がんがん作られたんですよ」

戦時状況を扱った『スチールレイン』もそうだが、1980年代のノ・ムヒョン前大統領の周辺を、ゴマ粒のように描写した『弁護人』でも細心の考証が光を放つ。「ある話が差し込まれると、その後は無条件に集まる。新聞も‘スクラップ’して。それらが何千枚となって、何度も読んだ本が積み重なると、それらの資料が私に話を始めます」

積み重ねておいた話が何十個という彼に、誘いとして一つだけ教えてほしいと言うや否や「詩人キム・スヨン」と述べた。「巨済捕虜収容所で経験した悲惨な生活の中で本当にすばらしい詩を書き、自由を夢見た人物の話をしてみたい」

「語り手」の書斎には何十編もの興味深い素材が継続して積まれていく。彼は「どんな話が‘生物’のように生きて転がっていくかが気になる」と語った。
  • 毎日経済_イ・ソンヒ記者/写真=パク・サンソン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-01-09 17:06:08