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[I ♥ 建築] 協会・商店街・男女共学


  • [I ♥ 建築] 協会・商店街・男女共学
1970年代、韓国は全世界において一番早いクリスチャン人口の成長を見せた。その中でも大型協会の成長と、青少年宣教比率はとても高かった。しかし、現在はヨーロッパのように協会には老人だけが多く見られ、青少年信者は減っている。いくつかの理由があるが、ここでは韓国協会の成長と衰退の建築的背景だけを見てみようと思う。

韓国の開拓教会はほとんどが「商店街協会」から始まる。以前には探すことが難しかった人口密度の高い住居地であるアパート(マンション)が出来たことで、新しく作られた建築様式が「商店街」だ。商店街は既存の市場が高層に変形したワンストップショッピング場だ。けれどこの中に協会が入り込んだ。商業施設の隣に協会を配置したことは、創意的な発想だ。まるでEマートの中に協会があるのと同じだ。このように接近性の良い宗教施設はこれまでの他宗教ではなかった。さらに商店街の背後には高密度住居団地がある。商店街協会は、アパート入居とともに成長する。新興大型協会は、ほとんどがアパート団地を挟んでいる。希望協会と光臨協会は狎鴎亭洞アパート団地を、オンヌリ協会は東部二村洞アパート団地を背後に置いている。これら協会が良い「お言葉」により成長もしたが、もし背後にアパートがない地域で始めたとすれば、数万人規模の協会として急成長することは難しかっただろう。

最近になり、若い人々が教会に行かない理由は何だろうか?筆者は「男女共学」の導入によるものだと考える。過去、協会文化はギターと賛美そして「協会のお兄さん」として代弁される。1970~1980年代には異性への関心が高い青少年が制服といった画一化された服装で男子学校と女子学校に分かれて育てられた。これを抜け出す唯一の解放区は協会だった。協会に行けば私服を着て異性と出会うことができた。協会は時代に先立った開放の空間だった。しかし、男女共学が導入された現在は、日常生活でも異性交際が容易となった。時代が開放された速度に比べ、停滞した協会は現代においてもっとも保守的な空間となってしまった。どれほどギターとドラムでロックコンサートのような賛美集会を演出してみても、青少年にとって協会は以前のような魅力的な空間ではない。協会が生き残るには真剣勝負をせねばならない。
  • ユ・ヒョンジュン弘益大建築学科教授
  • 入力 2016-08-14 10:00:01




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