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積極的な親日 vs 生計型親日...境界は何だろうか

当時、警察ならすべて親日?...図式的基準の議論、依然と/「地位」よりも「行為」立証を通じて消耗的論争減らすべき 

日帝強占期の朝鮮人たちは植民地支配をどのように受け入れて対応したのだろうか。スペクトルを広げてみると両側の端に「抗日」と「親日」があり、その間に数多くのケースがあるだろう。抗日側には急進的な独立運動から穏健な自強運動、親日の中には生計型・受動親日と悪意・積極的親日を想定してみることができる。であるとすれば、断罪や批判の対象となる親日の定義と分類基準は果たして何だろうか。これをめぐって韓国社会は建国直後から70年近く、進歩・保守の両方が激烈に争った。

歴史的に見ると、大韓民国制憲議会が1948年に作成した「反民族行為特別法(反民法)」、学界・民間主導で1999年に始まり2009年に完成した「親日人名辞典(辞典)」、第16代国会が2004年に作成した「日帝強占下反民族行為真相究明に関する特別法(究明法)」など、大きく3つの基準がある。「反民法」は、国権侵害条約を締結するなどの売国行為(1条)、抗日独立運動への弾圧行為(3条)などを親日派と規定した。親日派に、公職への任用禁止・財産没収・無期懲役・死刑などの処分を下せるようにした。一度の裁判で結論を出す「単審制」が施行された。法の規定だけを見ると、相当に水位が高い方だった。

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  • 左から、「一進会」の幹部を務めた宋秉畯(ソン・ビョンヂュン)、「乙巳五賊」の一人李根澤(イ・グンテク)、詩人崔南善(チェ・ナムソン)、小説家李光洙(イ・グァンス)、親日論議が提起された舞踊家の崔承喜(チェ・スンヒ)。

評価は交錯している。保守側の学者は「三日で作成した拙速な立法、形罰不遡及原則の違反、あいまいな法条項など問題が多かった」としながらも、「反民法に基づいて総682人を調査して559件を検察に送致するなど、不安定な当時の政治状況で最善を尽くした」と評価する。

とは言え、「統治基盤的な親日派を失いたくない米軍政と李承晩政権の黙認、親日派の組織的妨害で歴史の清算をきちんとできなかった」という進歩側の見解が主流だ。実際に「反民法」による判決件数は40件、体刑を受けた者は14人に過ぎず、死刑執行は一件もなかった。

「第2反民特委」を指向して、進歩的性向の市民社会主導で作られた「辞典」の基準は「反民法」よりも拡大された。

「反民法」が規定した反民族行為者はもちろん、知識人・芸術家などの上層部「附日協力者」を多数含んでいた。反民族行為がはっきりと証明されていなくても、日帝下の行政・司法・警察・軍などに従事した一定の基準、例えば高等文官(今日の事務官に相当)以上の役職にあった人々も親日人士名簿に記載した。その結果、収録対象者は4389人が確定した。

韓国の国会で与・野党の公論化過程を経て成立した「究明法」の定める基準は、民間主導の「辞典」よりも緩くなる。「特定地位にあったという事実だけで、その在職者を親日・反民族行為を行ったと公開してはいけない」という第23条の規定に基づいて、地位だけでなく「行為」が客観的に証明された時にだけ親日人士として規定する。「究明法」に基づいて設置された大統領直属の「親日反民族行為真相究明委員会(委員会)」調査の結果、「辞典」よりも3000人ほど少ない1006人の名簿が確定した。

親日派の基準に対する議論は、依然として現在進行形だ。光復後、半世紀以上の歳月が流れ、対象者や証人のうちですでに死亡した人は多い。後世の評価は記録に依存するしかない。これと関連して、委員会は朴正煕(関東軍中尉・前大統領)、丁一権(チョン・イルグォン、関東軍憲兵大尉)、金昌龍(キム・チャンリョン、日本軍憲兵下士官)、辛相默(シン・サンムク、日本軍憲兵軍曹)などに対しては、「地位」は確認されたが日帝に協力した「行為」を立証するだけの証拠が見つからず、最終名簿から除外された。これらはすべて「辞典」には記載された人物らだ。

親日行為を行ったが、朝鮮社会の発展に功績を残した人々は論難になりうる。当代随一の舞踊家崔承喜は7万ウォンを超える巨額を国防献金としてさし出すなど、親日行為が認められて「辞典」に名前が挙がったが、当時としてはきわめて稀に、朝鮮文化を世界に知らしめた点が考慮され、委員会が作成したレポートからは抜け落ちた。

日帝との緊密な関係だったが朝鮮経済を作り出した民族資本家を、親日派として分類しなければならないのかも議論の種だ。同一人物であっても、生涯一貫した哲学を維持した人は珍しい。親日行為を行ったが抗日運動に参与したり、抗日運動を行ったが親日に向かって背を向けた者に対しても、綿密な評価を行わなければならない。

強圧による親日と同じくらい、自発的な親日行為にも細心の配慮が必要だというのが保守側の見解だ。1940年代、日帝末期になればなるほど植民統治から脱して独立を得ようという信念を持つ者はまれになった。民族の生存のためには日本に同化し、「内地」と同じ地位を享受すべきだという考えを持った知識人が出てきたという話だ。代表例として崔南善と李光洙がいる。

親日問題と関連し、保守側の見解を代弁した『死者のための弁護』という本を出した小説家の卜鉅一(ポク・ゴイル)氏は記者との電話通話で、「韓国で‘親日派'という評価ほど致命的な社会的烙印はない」とし、「いま私たちの社会に実質的に害を与えうるものは、既にとうの昔に終わった親日行為ではなく、彼らに対して少なからぬ人々が見せる過度の憎悪」だと主張した。

とは言え、「究明法」に基づいて設置された大統領直属の「親日反民族行為真相究明委員会」の初代委員長を務めた姜萬吉(カン・マンギル)前高麗大教授は、「36年のあいだ日帝の支配を受けたが、李承晩政権は親日派の清算をきちんと行えなかった」とし、「参与政府の時に初めて政府と民間が、同時に親日基準を設けたわけだ」と評価した。

姜教授は、「(相対的に特に問題にならない)生計型の親日人士は、各種資料と証言を調査すればいくらでも区分できる」とし、「親日問題がまだ論議をかもす理由は、反民族行為とその関係者を取り上げると損をする政治勢力があるからだ」と付け加えた。
  • 毎日経済_特別取材チーム=ペ・ハンチョル記者/キム・スルギ記者・イ・ギチャン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-06-20 15:47:00




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