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[筆洞情談] サラのための弁明


  • [筆洞情談] サラのための弁明
彼は授業中でもよくタバコを取り出してくわえた。ひときわ細長い「チャンミ(タバコのブランド)」だった。それとともに「あなたがたも吸いたければ吸いなさい」と言った。学生の何人かが教授と向き合ってタバコを吸う自由奔放な場面が繰り広げられた。なんと27年前の延世大国語国文科で開設した「現代文学講読」の時間だった。教授は、派手な女性を云々いう馬光洙(マ・グァンス)だった。誰かは顔をしかめただろうが、私を含めて多くはその爽快な破格と挑発を楽しんだ。

性的談話を水面上に引き上げた馬教授の講義の人気はすごかった。彼は謹厳なふりをする知識人の虚偽意識と性の厳粛主義を厳しく批判した。彼が投げた話題は「欲望する人間」「自由を渇望する魂」だった。課題は性的想像力を発揮した小説作成だった。エロティックだけを教えるのではなかった。尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の研究、象徴詩学、エロスとタナトス、風俗の歴史、戯曲論など、彼のスペクトルは広かった。

小説『楽しいサラ』が出版された後、1992年にわいせつ論難で講義中に逮捕され、彼の人生は下り坂だった。容疑は不合理なことに「淫乱文書製造・頒布」。小説の内容が過度に性的衝動を刺激し、文学の芸術性の範疇を超えたというのが検察の主張だった。リアリズムと純粋文学が争いを繰り広げていた時代に、彼は両方の陣営から攻撃を受けた。世界は自己と異なる「他人の趣向」を認めなかった。

もちろん『楽しいサラ』は文学的完成度が高い作品ではない。主人公サラは浅薄な女性だが、啓蒙主義時代でもない20世紀、文学というジャンルに法の定規を突きつけたことは理解できないことだった。学内デモが絶えなかった、理念過剰の時代だったが、「馬光洙は馬光洙だと認めなければならない」というのが弟子たちの主張だった。エロティックなファンタジーの守護のためにではなく、表現の自由の侵害に対する抵抗だった。彼は1998年に赦免復権されたが、学界と文壇から徹底的に無視された。

長年彼に浴びせた非難と嘲笑は、彼の死以降「時代を先行く天才」「世界が抱けなかった自由主義者」など好意的に変わっている。出棺前日の6日夕方、遺体安置所は弟子たちでごった返していた。「このような追悼の言葉を彼が生前に聞いていたら、極端な選択をしなかっただろう」という言葉が交わされた。彼は『愛されず』という詩でこのように歌った。「あなたよ、だから私は非常に小さい単なる雑木になりたいです。背の高い木にはなりたくないです」と。偏見と孤独のない場所で小さな木として永眠することを願う。
  • 毎日経済 シム・ユンヒ論説記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-09-10 09:00:00




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