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キム・ヨナ、スポーツ・マーケティングに夢を広げたい

2009年の世界選手権大会の優勝がオリンピックの金メダルより記憶に残る 

  • キム・ヨナ、スポーツ・マーケティングに夢を広げたい
「フィギュアスケート選手を引退して、いよいよ別の生活を始めました。この賞は、私に新しい人生を生きて、また別の革新を行えという励みとして受け入れます」。

去る17日、ソウルの大峙洞パークハイアットホテルで「ポニー鄭革新賞」を受賞したキム・ヨナ(24)が、毎日経済新聞との単独インタビューで「フィギュアの女王」の座を降りた心境を含めて、自分の過去と現在そして未来について淡々と思いを打ち明けた。

事実、大韓民国フィギュアはキム・ヨナを抜きにして語ることはできない。それほど困難で孤独な18年の旅だったが、キム・ヨナは不屈の精神と血のにじむ訓練で、韓国はもちろん世界フィギュアの歴史を新しく書き綴った主人公になった。フィギュア不毛地と同然の韓国でキム・ヨナが試みた海外訓練、外国人コーチ・振付師の招聘などは、すべて最初の試みだった。安心よりも困難な挑戦を選び、世界とぶつかって乗り越えたキム・ヨナに、「ポニー鄭革新賞」はともすれば運命のようだ。さらに、この賞を作った「ポニー鄭」故鄭世永(チョン・セヨン)前現代産業開発名誉会長もキム・ヨナの高麗大の先輩だ。

去る5月に引退して二ヶ月が過ぎたが、どのように過ごしていますか。
ソチ冬季オリンピックが終わってからも、アイスショーまでフィギュアの訓練を続けました。国内ファンたちに「選手キム・ヨナ」の姿を最後までよく見せしたかったからです。アイスショーをきちんと終えた後は、それ以上練習していません。ときどき、時間を割いて後輩選手たちを助けるために、泰陵スケートリンクに行きますが、ちょっと乗ったり外から見守っているだけです。

そんなに長くトレーニングを休んだことがなかったでしょうに。
フィギュアを始めてから、2008年に負傷して一ヶ月ほど休みましたし、2010年のバンクーバー冬季オリンピックを終えて一ヶ月ほど休みをとりました。しかし、当時ははやく回復してフィギュアに乗らなければならないという気がして、心はいつも緊張していました。ところで、今は引退決定をして二ヶ月ほど休んでいますが、別にヘンなこともない。ただ、ラクでいいです(笑)。

引退して最も良い点は何でしょうか。
体がラクというよりも「精神」がラクです。選手の時は休んでいる時も、あちこちが痛いとしばしば不安だった。「明日、運動するときに問題になるのではないか」という考えにいつも気を使いました。しかし、運動しないから痛むこともなく、もし悪くてもいまはそのまま過ごします。ふしぎなんですが、選手の時よりも痛みもすぐになくなるようです。

一日はどのように過ごしますか。
非常に平凡です。選手の時は規則的に生活しましたが、今では公式スケジュールに合わせて動いたり、個人的な約束の時間を中心に動きます。たまに何もないときは、家の中に閉じこもって休むことも多いです。いま享受する余裕は、選手の時は想像もできなかった。特別に何かしなくても心はラクです。

いつ引退したことを実感しますか。
いつも引退したという気分です。訓練しなくても不安ではないし。確かに隠退したということを感じるときは、泰陵に行った時です。若い後輩たちが朝早くから、寝ぼけたままで体をほぐして運動する姿を、私は外から見守っているからです。私も朝早くから訓練のあるときは本当に大変でしたが、その姿を外から見ると本当に心が痛むこともあります。しかしながらも、一方では「後輩たちが今の私の姿を見てどれほどうらやましがるだろうか」という気がしたりもします。

選手時代の話をしばらくしてみましょう。フィギュアを芸術に昇華させたという評価を受けるけれど。
フィギュアの採点システムが、私がシニアデビューしつつ、芸術性を大きく強調する方向に変わりました。私だけでなく他の選手も、技術だけでなく芸術性に気を使う雰囲気でした。ただし、私は新しいシステムと多少うまく合ったと思う。

芸術性は才能か努力なのでしょうか。
才能はよく分からない。しかし、こまかい動作や表情の一つ一つまで、すべて計画されたものです。私の考えでは、練習の力がより大きいようです。振り付けの完全性を高めるために、一日に数十回の練習をしてみると、体が完全に慣れて、考えなくても自然に出てくるようになるわけです。ただし、ディテールな部分は訓練をしつつ、自分のアイデアもたくさん反映しました。

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シニア時代にタンゴのプログラムを選択した理由があるといいますが。
実際に、強いプログラムは体力の消耗がおびただしい。だから、ショートプログラムは強く、フリースケートは叙情的に持って行きました。その当時「ロクサーヌのタンゴ」プログラムは、実際にイメージ変身のために冒険を選択したわけですが、幸いなことに良い評価を受けました。

大きいあるいは小さな挑戦によって成功もし挫折もたくさんしましたが、フィギュア人生18年の中で最も大きな節目はいつだったでしょうか。
なにをおいても子供の頃、フィギュアを放棄するか継続するかの岐路に立っていた時でしょう。中学生時には思春期のまっさかりで、体も成長期なので、けがをしながら過ごしました。身も心も、当然のように疲れました。一日に何度も、フィギュアを続けるかやめるかで悩みました。

そのとき節目をどのように越えましたか。
運も良かったし、両親の助けも大きかった。当時はとても大変で、もうこれ以上やらないと何日も訓練もせずに休んだことがあったけど、そのたびに私の両親は、私の意見を尊重してくれました。そのように、なん日か休んでみると、またフィギュアをしたくて、いつの間にかブーツを履いていた。その時に両親が急き立てたなら、いまの私がなかったでしょう。フィギュアをしばらく休み、自分で「フィギュアをしたい」という気がして、再度リンクに立しました。もう一つありますね。ほんとうにフィギュアをやめたくて、「今回が最後の大会」という気持ちで大会に出ると1等をとる。そのたびに「ああ~、私はフィギュアを続けなければならないんだな」という気がして、ここまで来ることになったのでしょう。

18年間の選手生活の中で最も記憶に残るのはいつでしょうか。
選手生活をあまりにも長く続けて、記憶に残る場面は本当に多いです。事実、最もうまくこなした競技は記憶にぜんぶ残っています。しかし、オリンピックで金メダルを取った瞬間よりもさらに強烈な瞬間があります。まさに2009年の世界選手権で優勝をした時です。

オリンピックの金メダルよりも、世界選手権での1等がうれしかったと。
実は2007年と2008年の世界選手権の両方とも優勝できなかった。すぐ前の大会までコンディションが良くてうまくこなしたのに、世界選手権になると怪我がひどくなったり、体が痛かった。だから2009年の世界選手権を控えて「今回もまたうまくいかないのじゃないか。世界選手権では優勝できないのかなあ」という不安がありました。どうかすると、ジンクスでした。こえたいけれど、いろいろな悪材料でこえられない山のようなもの。ところが、2009年の冬季オリンピックを控えて開かれた世界選手権で、女子選手史上初の200点を超えて優勝しました。演技も良かったし、何よりも「あ~、私がとうとう優勝したんだ。いまやジンクスや越えられない壁はないな」という気がしました。バンクーバー冬季オリンピックでの金メダルも、この時に得た自信が大きな力になりました。

いまやフィギュア選手キム・ヨナではなく、「キム・ヨナ」になった。新しい生活の準備をする時間なのに不安が、あるいは期待感が大きい?
恐ろしいほうがちょっと大きいです。7歳の時から18年間、フィギュアだけで過ごした。私がフィギュア選手として成功した華麗な経歴があるけれど、ときどき仲間の選手や先輩・後輩たちが選手生活を早く終わらせて、学校に通ったりコーチをする姿を見て、「私は停滞しているみたい」という感じをたくさん受けた。それでも、新しい人生を生きる期待感も私をときめかせています。

大学の勉強をしながらでは大変ではなかったでしょうか。
1・2年生の時、外国で試合をしながらも手書きでレポートを書いて提出しましたが、それほど大変ではなかったです。しかし、バンクーバー冬季オリンピックを終えた後、3・4年生の時は学校にきちんと通って、本当に大変でした。だから「二兎を追う者は…」という言葉を実感した。

勉強ではなく「学校生活」はどうでしたか。
私にとって大学生活は「新しい環境」でした。試験とレポートに対するストレスもありますが、新しい環境にはもう一つの楽しみがありました。友達もたくさん作ったし、私の状況を知っている友達が勉強もよく助けてくれました。卒業したときにさびしいという感じを持った理由です。しかし、大学生活の負担と楽しみが半々だったら、これから始まる「大学院」は恐怖が100%です。いま私は選手ではないから。これからは「勉強」で競争をしなければならないと考えると、負担が多くなります。

大学院に行くことにしたのは自分で決めた?
知っている情報がなくて、周りの方々に多くのアドバイスを求めました。結論は「知識が必要だ」ということでした。スペシャルオリンピックや平昌冬季オリンピックで活動するべきなのに、これからはしっかりと知って、活動したいと思いました。

大学院の専攻は何ですか。
前はスポーツ心理学に興味があったので、そう話をしたこともありました。先輩たちも心理学をよく勉強するので、専攻決定を控えて「心理学で私がやりたい仕事をできるだろうか」という悩みをたくさんしたし、実質的に私に多くの助けになるような「スポーツマネジメント・マーケティング」を専攻することを決めました。

勉強だけでなく、歌や演技にも可能性が開かれていますが。
私はそちらには全く関心がありません。今までずっとやってきたのがスポーツなので、スポーツに関連すること、私が本当にうまくこなせることに集中したい。後輩たちを助けたいと思うので、フィギュアは離さないようです。

キム・ヨナにとって○○とは
選手時代の訓練 ▶ 地獄だけど天国行きのチケット
華麗なフィギュアドレス ▶ただの作業服と呼びます。

Q=フィギュア
A=こんな質問は答えるのはほんとうに恥ずかしいけど...「運命」のようです。フィギュアがなければ今の私はなかったから。

Q=フィギュア訓練
A=やりたくなかったけど、必ずしなければならなかった過程。一言で言えば、「地獄だったけど、天国に行くチケット」が正しい言葉ですね。

Q=ファン
A=私を最後まで支持・応援してくれる方。

Q=友人
A=一緒におしゃべりしてくれる人。(笑)一生一緒に行く人でもあるし。

Q=母親
A=私に母親とはちょうど「私のおかあさん」。また、私がそうなるまでに最も重要な役割を果たしてくれた人でもあるし。

Q=フィギュアドレス
A=今までドレスの話はしたことがない。実は私はフィギュアの衣装を「作業着」と呼びます。ただ着るしかない服装でしょう。特別な意味はありません。私は楽なのが第一なので、良いデザインが出ても楽なように修正をたくさんする方です。

Q=10代
A=答えるのがほんとうに難しいですね。10代の時には運動しかありませんでしたでしょう。だから「運動ですべて飛んでしまった時間」です。

Q=ストレス解消
A=ストレスの瞬間を忘れさせてくれるのは、友人とおしゃべりをすることです。運動選手が多くて、お互いにいっぱい共感します。実際には友人ではなく、私より年上の方がより話がよく通じる方でしょう。

Q=趣味
A=特別な趣味はありません。それでも趣味といえば、音楽を聴くとか、映画やドラマをダウンロードして見る程度でしょう。性格がちょっとせっかちの方だから、ドラマは中間では見ない。ドラマがすべて終わった後に、一度にあつめて見るのが精神的健康にもいいんですよ。

Q=お料理
A=お料理はうまくないです。実際には、フィギュア選手生活をしながら食べること自体が自由じゃなかったので、料理をする機会もあまりなかったんです。代わりに、なんでもよく食べる方です。
  • 毎日経済_チョ・ヒョソン記者/ムン・ヂウン記者/写真=キム・ヂェフン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-07-18 15:49:33




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