チョン・ジフン…自転車王「ヨム・ボクトン」になり切った



昨年、俳優兼歌手のチョン・ジフン(37)は4ヶ月のあいだ自転車だけに乗った。平らな運動場のようなところで乗ったのだろうと思ったが…「砂場でした。100年ほど前は今のような平らな道はなかっただろうから」。場所はソウルオリンピック公園近くのサイクル訓練場。明け方に起きて朝8時まで出勤した。サイクリストのように8時間をトレーニングし、午後6時になれば脱力したまま帰宅した。本当に死ぬほどペダルを踏んだ。

「アリ地獄でした。ネズミの回し車のように前だけを見て、寂しく自転車に乗ったから。『ニンジャ・アサシン』(2009)の撮影が大変だったけど楽しかったとするならば、こっちはただただしんどいだけでしたよ。後でコーチがこう言いました。アマチュア大会に出ても大丈夫みたいだって」(笑)。

27日に封切りする『自転車王オム・ボクトン』で、彼は主人公のオム・ボクトンを熱演する。オム・ボクトンは日本植民地時代に自転車大会の選手として活躍した実在人物だ。 1913年4月13日の龍山大会で優勝して以来15年間、日本の選手たちを相手に連戦連勝をおさめた伝説的存在だった。記録によると当時、彼の大会を見るために、京城人口30万人のうち10万人が集まったという。しかし、不思議なことに後代によく知られていない人物でもある。

チョン・ジフンは「マラソンランナーの孫基禎(ソン・ギヂョン)先生に劣らず広く知られるべき人物だと思って、より一生懸命に訓練に臨んだ」と言う。太ももの筋肉がいっぱい膨らんだのはそのためだった。 「体は元気になったけど、パンツがますますない合わないですよ。32~33サイズでよかったのに、いつのまにか38~40サイズならかろうじてはけるほど…」。

映画はオム・ボクトンが当時の民族の英雄として浮上するまでを描く。プロットは単純だ。貧しい庶民の子だった彼は、街で出会った自転車に魅了される。おりしもに日本は全朝鮮自転車大会を開催しようとした時であり、オム・ボクトンはこの大会に参加して相次いで優勝する。愛国団を後援する自転車商会の社長のファン・ヂェホ(イ・ボムス)はそんな彼を積極的に後援することにする。彼は「日本軍の一人を殺すことよりも、民草一人の心を得ることが真の独立」だするが、これはこの映画のテーマ意識でもある。朝鮮の民族意識を折ろうと意図して開催された大会が、オム・ボクトンによって逆作用を起こすやいなや日本は最後の自転車大会を開いて彼を殺そうする。


隅をつつけば、実は不十分な部分が少なくない映画だ。コンピューラフィックス(CG)は粗く、プロットは緩んでほころびが多い。オム・ボクトンの一代記に集中すればよかっただろうが、メインプロットが独立運動でサブプロットのために乱れる。素朴な田舎の青年オム・ボクトンと愛国団行動隊員キム・ヒョンシン(カン・ソラ)のあいだのラブラインは蓋然性が不足して、物語への没入を阻害する。だからといって、映画的価値まで無いというわけではない。埋葬された貴重な歴史を再照明したことや、チョン・ジフンの新しい姿を発見することができるという点は、彼のさわやかな自転車の滑走を見ることができるという点でそうだ。

チョン・ジフンは「こんなに貧しいけれど純粋なスポーツ人を演じたのは初めてだった」と言う。 「ドラマデビュー作『サンドゥ、学校へ行こう』(2003)では純情男を演じてはみたけれど、その後の十数年間は財閥家の息子やキラー、アジアのスターのような配役だけを演技した。オム・ボクトンは違う。ゴム靴を履い素朴に笑う…不慣れだったけどこんなキャラクターを見るとやりがいを感じる」。

彼もいつのまにか不惑を見つめている。 1997年に10歳のときにグループ歌手としてデビュー。翌年に解体されてさまよっていたところ、プロデューサーのパク・チニョンがさしだした手で再起の足場を固めた。 4年間トレーニングして「ピ(RAIN)」というダンス歌手として人気を集め、20年めを歌手兼俳優として活躍している。 2017年に俳優キム・テヒと結婚し、きれいな娘までもつ一人の女性の夫であり父親でもある。

チョン・ジフンは「アン・ソンギ先輩のように、ゆっくりと長く演技する俳優になりたい」と語った。 「職業が2つあるという点から、映画に多く出演できないのが残念。今後は助演でも主演でも選ばずに幅広くやってみたい。チャンスが与えらさえすれば『アメリカン・サイコ』(2000)でクリスチャン・ベールが演じたサイコパスのような役も自信があります」。
  • 毎日経済_キム・シギュン記者
  • 入力 2019-02-20 17:50:02