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朴容晩大韓商工会議所会長、故稲葉清右衛門氏を追悼


「私は大宇総合機械(現斗山インフラコア)を買収し、最初に(稲葉清右衛門ファナック名誉会長と)挨拶をした。とても背の低い巨人だった。この方は尊敬できる良い人物だった。できればこの方との義理を守ろうとしたが、ビジネス上でどうしようもなくこの方の理解と異なる決定をするときは、事前に訪れて説明をした。早くに失った父を思う心からだったようだ。(稲葉名誉会長の死去のニュースに)父をまた亡くしたようで心は重い」。

朴容晩(パク・ヨンマン)大韓商工会議所会長がフェイスブックに上げた、故稲葉清右衛門ファナック名誉会長に対する追慕のメッセージだ。

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ファナック創業者の稲葉名誉会長が去る2日に死去した。享年95歳。

ファナックはグローバルな産業機械企業だ。主な製品は工作機械の制御装置(Main Control Unit/MCU)と工作機械や産業用ロボットなどで、すべてでグローバル1位製品だ。工作機械の制御装置は世界シェアは約50%にのぼる。ファナックの主要顧客はサムスン電子とLG電子、アップルや現代自動車、テスラにゼネラル・モーターズ(GM)などだ。昨年の連結売上げは5082億5200万円(約5兆5400億ウォン)で、営業利益は883億5000万円(約1兆ウォン)を記録した。総資産規模は1兆5125億円(約16兆5000億ウォン)に達する。
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  • 世界市場を席巻するファナックの産業用ロボット



故稲葉名誉会長は日本の産業界に一線を画した、伝説的企業家と呼ばれる。同氏は1925年に日本の茨城県で生まれ、1946年に東京大学工学部を卒業した。学位取得後は富士通に入社し、エンジニアとしての人生を始めた。

特に同氏は、日本経済が成長するには熟練した人の手を代替する自動化機械が必須だと考え、研究に没頭した。ついに稲葉名誉会長は1956年に日本初のコンピュータ数値制御(CNC)工作機械の開発に成功した。 CNCはコンピュータに数値を入力すると、自動的に金属を加工する機械だ。

1972年に富士通から工作機械部門が分社して、ファナックが発足した。稲葉名誉会長は「脇目もふらず一筋を行く」とし技術中心の経営を繰り広げ、1974年には産業用ロボットも開発した。

稲葉名誉会長の息子である稲葉善治ファナック会長は、「名誉会長はファナックを世界最高の工作機械制御装置と産業用ロボット製造会社に育てた」と語った。

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  • パク・ヨンマン会長


朴容晩(パク・ヨンマン)斗山インフラコア会長兼大韓商工会議所会長は、故稲葉名誉会長と2005年に縁を結んだ。斗山が大宇総合機械を買収した直後だ。斗山インフラコアはファナックから工作機械の制御装置を購入して工作機械を製作しており、2016年に工作機械事業部門を分離してMBKパートナーズに売却した。

パク会長はFacebookを通じて「同氏は私をたいせつにしてくれた。きまりが悪そうに私が座っている席で重役らに火のように怒鳴り、すぐさま(価格を)下げろとおっしゃった。その席で百億近い値引きをしていただいた。地方アクセントがかかっているうえに言葉を口の中でしゃべるスタイルなのでほとんど言葉を聞き取れなかったが、不思議なことに私は彼の言葉がほとんどわかった」と故人との思い出を振り返った。

パク会長は「ファナックの工場に行けば(稲葉名誉会長が)私の手を握り、誰にもいない倉庫に連れて行って縁を静かに話しながら、筆写ノートなどを見せてくれた」とし、「一回だけでももういちどお会いし、現役時代は私を大事にしていただいて助けてくださったことに対する感謝の礼をさし上げたかったが、けっきょくその機会もなく天に行かれた」とした。
  • 毎日経済_チョン・スンファン財界・韓商専門記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2020-10-08 19:22:27




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