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「私の名はスンジャ」…韓国系米国人で初の女性下院議員

マリリン・ストリクランド氏 

  • 「私の名はスンジャ」…韓国系米国人で初の女性下院議員

  • 米国ワシントン州で初の連邦下院議員として当選した韓国系アメリカ人のマリリン・ストリクランド(左)氏と母親のキム・インミンさん。 [写真提供=ストリクランド候補選挙運動サイト]


「私の両親は私が想像できない差別と難関に耐える必要がありました。二人はこれまで拒否された機会を私が持つことを望み、懸命に働いて、正しいことのために闘争してコミュニティに仕えるように教えました」。

去る3日、米国大統領選挙とともに行われた連邦下院選挙で当選したマリリン・ストリクランド(Marilyn Strickland、58才、韓国名スンジャ)氏の言葉だ。

ストリクランド氏は初の韓国系女性連邦下院議員という記録を立てるになった。キム・チャンジュン前下院議員と今回再選に成功したアンディ・キム議員(民主党、ニュージャージー州第3選挙区)に続き、韓国系では第三の連邦下院議員になった。ストリクランド氏はワシントン州第10選挙区で、民主党候補として出馬した。ワシントン州では韓国系はもちろん、アフリカ系で連邦議員になったのは今回が初めてだ。現地メディアは230年の米国議会史上で意味のある進展だと評価した。

ストリクランド氏の両親は黒人の父親であるウィリー・ストリクランド氏と韓国人の母キム・インミン氏だ。 父親は第二次世界大戦と「6・25戦争」に参戦した米軍人だ。1962年9月にソウルで生まれた。一歳のときに父がバージニア州フォートリー基地に配置され、米国に渡ってきた。 1967年に父がワシントン州の基地への発令が出たことで定着した。

ストリクランド氏はワシントン州で高校を卒業した後、ワシントン大学で経営学を専攻した。バーガーキングで店員として働きながら社会生活を始めた。ノーザン生命保険会社やスターバックスなどを経て、2007年にシアトル近くのタコマ市会議員として政界に入門した。その後タコマ市長に当選し、2018年までの8年間を市長として働いた。中国やベトナムなどから活発な投資誘致活動を展開し、4万人の雇用を創出した。このような抜群の努力に支えられて、市長在任中の2015年に習近平中国国家主席のタコマ訪問を成功させた。その後はシアトルメトロポリタン商工会議所の会長を務めた。 商工会議所の136年の歴史の中で、初の有色人出身で会長になった。

ストリクランド氏は2018年、タコマ市長時代にシアトルビジネスとのインタビューで、「私は韓国人の娘」という点を強調するなど、アイデンティティを誇りに思ってきた。同氏は「これまで米国ではキムチの匂いと味に対して否定的なニュアンスが強かったが、いまやすべての人がキムチを求める」と語った。同氏は「友達が家に遊びに来た時は韓国式に靴を外で脱ぐようにし、母はアジア料理でもてなした」と語る。同氏は「私はアフリカ系アメリカ人であり韓国系アメリカ人だという情緒が同時に強く根付いている」と語る。両親は教育を常に強調してきた。幼い頃から最も多く聞かされた言葉は「大学に行けば...」だったと回顧した。タコマ市長時代の2016年、ワシントン大学のマガジンで「この国に移民に来た母の力について考える。私は彼女の回復力と忍耐力、強さを見習いたい」と語った。

ストリクランド次期当選人は医療と教育、クリーンエネルギー分野での雇用創出を優先的に推進していくと明らかにした。
  • 毎日経済_ニューヨーク=パク・ヨンボム特派員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2020-11-05 19:19:41




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