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【韓国コラム】裁判官の良心


1957年のある日、保険事件を専門に扱う弁護士ジェームス・ドノバン(James B. Donovan)は逮捕されたソ連のスパイ、ルドルフ・アベル(Rudolf Abel)を弁護してほしいと要請される。米国政府がスパイにも公正な待遇をするということを誇示するために弁護士を探していたが、弁護士協会が彼を推薦して事件を引き受けることになった。

海軍将校出身でCIAの前身OSSに勤務し、ニュルンベルク(Nürnberger)戦犯裁判で検事として活動した経歴が考慮されたのだろう。米国政府や彼が勤務した法律事務所では、ただ形式的に弁護する姿だけを見せることを望んだが、ドノバンは弁護を引き受ける以上、依頼人が無罪判決を受けるように少なくとも死刑は受けないように自分の力量を最大限発揮した。

当時は共産主義に対する恐怖をあおるマッカーシズム(Mccarthyism)の狂風が米国社会を席巻した時期だった。学校で核戦争の授業を受けた息子は、銭湯の浴槽に水をいっぱい入れるのが、米国社会の風景だった。妻と子供さえ「国で2番目に憎悪される人になる」と反発する。

アベルの死刑宣告は既に既定事実化された状態だ。裁判官でさえ無罪推定の法則などを守る気は少しもなかったのだ。不法に取得した証拠を無視してほしいという主張も一考の価値もないとして棄却された。CIAは彼を査察しアベルと会って交わした話を渡すよう脅迫した。

このような状況で陪審員は挙手機の役割にとどまるのが当然のこと。「有罪」という陪審員の合唱が流れ量刑が言い渡される前もドノバンは裁判官を説得する。「これからどんなことが起こるか分からないから、保険に入りなさい」と。裁判官は苦心の末、死刑の代わりに30年の刑を宣告し、これに満足できなかったドノバンは控訴する。

最高裁判所の法廷でドノバンは熱烈な弁論を繰り広げる。

「スパイ容疑が事実なら彼は自分の政府に忠誠を尽くしたのであり、敵国の軍人なら立派な軍人といえるでしょう。命を絶つために戦場から逃げず自分を捕まえた国家に協力することを拒否することで自らの信念を守りました。臆病者の道を拒否したのです。生きるために戦場から逃げる臆病者の行動を、ルドルフ・アベルは二度としないつもりです。それなら私たちはそんな彼に、私たちの国を偉大にする真の価値が何かを見せなければならないのではないでしょうか?冷戦時代に私たちが最も強力な武器ではないでしょうか?彼が守った信念を私たちは守らないんですか?」

最高裁判所で5対4の僅差で敗れたドノバンは憎悪の対象になった。武装グループが入ってきて銃弾を浴びせかけ、走ってきた警察官たちも「赤を弁護する」と冷ややかな目で見ている。彼に弁護を任せた法律事務所も背を向ける。彼が引き受けた事件さえ他のチームに渡すほどだ。

その後、ソ連の上空から写真を撮影していたU2機操縦士パワース(Powers)がミサイルに当たって逮捕され保険に入るようにというドノバンの見識が正しかったことが明らかになった。

そして米ソ両国政府はスパイ活動もスパイの存在も否定する中、アベルとパワーズを交換する任務をドノバンに任せる。

この事件はトム・ハンクス監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』(Bridge of Spies)で映画化されたものだ。

現在、韓国社会に広がっている司法部への不信を目にし、弁護士ドノバンのことが思い出される。

チョ・グク前法務部長官の妻のチョン・ギョンシム教授に懲役4年を言い渡して法廷拘束した判事を弾劾しろという国民請願に、すでに40万人以上が署名している。

司法府は良心によって判決を下した判事に対する攻撃は、司法府の独立を害する恐れがあるという憂慮を表明した。自分を任命した行政府に対抗する検察総長を「韓国版包青天」と崇める保守勢力では形が弱いと不満をぶつけている。

左右両側から攻撃を受ける司法部と検察をどう見ればいいのだろうか。

依頼人の利益を守ろうと自分だけでなく家族まで脅かしたドノバンの良心と比べられるだろうか。

2つの良心を重さを量るはかりはあるだろうか。

筆者の個人的な考えを申し上げるとはかりは犠牲だろう。家族にまで背を向けるほど自分を犠牲にしたのか、押し切りの下に自分の頭を突きつける覚悟をしたのか、そのような物差しで見れば判事や検察、メディア、さらに指導者たちの真骨頂が明らかになるだろう。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-01-02 00:00:00




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