解説 | ハングル:오렌지족 ハングル発音:オレンジジョク 解説: 彼らの両親の中には、苦労の末に他人が羨ましくないほどのお金を稼いだ人もおり、ときには農業をしていた田畑が都心の中心の優良地と化し、一朝にして富者になった人もいる。その当時は、昔から裕福な家庭は、江南のアパートより江をはさんで向こう側の豪壮とした住宅街に住んでいたのだ。 問い詰めてみると、当時江南にアパートをもっている人のことを裕福でないと考える人はいなかった。オリンピックを前後に揺れ動いていたアパートの価格が、わずか2~3年の間に2倍以上、多くて3倍にまで高騰したのだから。3億ウォンだったアパートが10億ウォン近くに上がったというのだから、どれほど気分が良かっただろうか。 車など他の物価も上がりはしたが、家の価格の上昇には比べようがなかった。 家の価格が上昇し富者になったと感じるため、誰彼なしに乗り回していた車をもう少し大きくて見た目のいい車に変えて、家具も新しく買い揃えるというような風が江南に吹いた。なぜ江南に消費の風が他の地域より強く吹いたのだろうか? それこそ家の価格上昇を江南がさきがけ、上昇幅も他の地域よりはるかに大きかったので当然のことではないだろうか。 もちろん、家のない市民や家の価格が上がらない地域に住む人たちは、相対的に剥奪感を感じた。このような人たちの気分をさらにめちゃくちゃにした主犯は、先に述べたオレンジ族という若者だった。 ブランドの服を着て外車に乗り、高級カフェに出入りして気の向くままにポケットからお金を取り出してばらまく。当時は韓国で輸入フルーツがめずらしかった時代だが、彼らは雰囲気の良いカフェでオレンジをまるごと絞ったジュースを好んで飲んでいた。 オレンジが水気が多くてやさしい味なうえに、若干明るい色も出す。それで彼らのことをオレンジ族と呼ぶようになったというが、一説ではオレンジで女性を誘惑していたから出た名称だともいわれている。 とにかく、彼らは外車に乗って登校するほど他人をまったく意識しなかった。 そのうち97年に韓国経済が通貨危機を迎えながら事情が急変した。金集め運動が全国的に起こっている状況で享楽文化を追求することは難しかったはずだ。ともすれば全国民から袋叩きに合うことになるのが常だ。 それで富者の家に住むオレンジ族は消えた。どこに消えたのかと思えばおおむね外国に留学したという。そこで学んだ外国語の実力とアメリカの大学学閥で故郷に錦を飾り、今頃は西洋のパーティ文化を先導しているといわれている。 |