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陶工 尹光照…ろくろ捨てて四角磁器に人生をこめる



    般若心経270文字をぎっしりと刻んだ四角磁器「「心経」は素朴だが深い省察を抱いているようだ。入口が大きく広がる三角磁器「混沌」もまた、深い趣を持っていた。半世紀のあいだ粉青を作り続けてきた汲月堂 尹光照(クウォルダン ユン・グァンヂョ、72歳)氏の作品だ。彼は1986年にろくろと円形磁器を捨て、角形粉青のみにこだわり始めた。

    粉青の禅味を求めて山川を経巡り、智異山の正覚寺で修行をしながら得た悟りだ。十日のあいだ一日に3000拝、次いで二日間5000拝をささげる苦行を経て円形の枠にとらわれないことを決心した。

    尹光照氏は「4万拝が終わる頃に既得権を下げておくべきだなあという答えが出た。20年のあいだろくろを回したのだから、もうこれ以上回さなくてもいいようだった。固定観念と傲慢を破って自由になった」と語る。

    それがまさに粉青沙器の本質でもある。白磁や青磁と異なり、形態は朝鮮民画のように自由奔放だ。 14世紀後半に衰退した象嵌青磁の空席を埋めつつ登場した粉青沙器は、灰色または灰黒色の胎土の上に白土泥(ペクトニ)を化粧するように塗り、釉薬をかけて焼き上げた磁器だ。偉そうにせず無心の味を出す粉青茶碗に、日本人はぞっこん惚れ込んだという。 「粉青沙器は歴史的に高麗青磁の官窯(国家の磁器製造場)システムから始まったもの。高麗末期のモンゴルの侵入で体制が崩れ、王は操り人形の役割を果たした。官窯の運営ができなくなって、陶工たちは「各自図生」(カクチャドセン/おのおの生きる途を探る)しなければならなかった。青磁を作った細かい土を入手することができず、山に入って適当な土を探して粉青沙器を作り始めた。誰の指示を受けるでもなく、やりたいように作った。今の現代美術と同じで自由でしょう」。

    新しい現代粉青沙器の時代の序幕を開いた尹光照氏は、京畿道広州市草月邑の池月里窯で弟子たちを育てた。 2年前の夏、彼の展示に弟子たちが久しぶりに集まった。

    今は慶州安康の道徳山(トドクサン)で作業している尹光照氏は、「弟子たちは私のように全国の山の中に閉じこもって粉青沙器を焼いていた。陶芸家としての待遇をしっかり受けさせてやりたいので展示を企画した」と語った。

    31日までソウル市仁寺洞アートセンターで開かれている「汲月堂現代韓国粉青展」に師匠と弟子の作品90点あまりを展示した。ピョン・スンフン氏(63)、キム・サンギ氏(62)、キム・ムノ氏(61)、イ・ヒョンソク氏(53)など、30年あまりのあいだ粉青沙器に専念して独自の作品世界を持つ弟子たちだ。

    • (左から)ユン・グァンヂョ「心経」とキム・サンギ「粉青象眼大壺」



    尹光照氏は「専業作家として生き残るのは、まるで裸でいばらの道から這い出ることと同じ」だとし、「弟子たちは私に会わなかったら、至難の道を行かずにより簡単な道を行くことができたのではなかっただろうかという責任が肩を押す」と語った。

    今回の展示は伝統的な粉青沙器様式を再照明して自分の作品に移入させ、粉青を現代的に昇華させた作業を披露する。粉青沙器の底辺に敷かれたわれわれの古の情緒と、現代に合った同時代的な感覚を通じて、粉青沙器の新しい世界を模索した。

    尹光照氏は「伝統性と現代性は鳥の翼と同じ。どちらか一方の翼がないことには飛ぶことができず、西洋文化の亜流になる」とした。彼はこの1年6ヶ月の間に完成した作品11点を出した。陶器の運命は窯の火に委ねざるを得ないので、3~4倍の作品を作る陣痛を経た。「私自身を鞭打ちながら陶器を焼いています。師である崔淳雨(チェ・スヌ)前国立中央博物館長がつけてくれた「汲月堂」という号は、終わりのない精神を意味します。井戸に映った満月は何をしてもすくうことができないように、至心をもって至高至善の境地に向かって走って行かなくてはなりません。チェ館長の師匠であり粉青沙器の美学をまとめたコ・ユソプ先生の号を私に与えられたのです」。
  • 毎日経済_ チョン・ヂヒョン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2018-01-22 17:03:14