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韓国初の民間小劇場「セシル劇場」…4月に再オープン

    • 徳寿宮の北側に位置したセシル小劇場



    第1世代の建築家金重業(キム・ヂュンオプ、1922~1988)が設計したセシル劇場は、1976年に320席の小劇場として開館した。最初の民間小劇場だった。日本の植民地時代に赴任して、韓国聖公会の中興を率いた第4代教区長セシル・クーパー(Cecil Cooper)司教の名前を取った。都心にろくな小劇場がなかった時代だったことから、各劇団は先を争って貸館を申請した。

    朴正子(パク・チョンヂャ)や孫淑(ソン・スク)などの名女優たちが舞台に上がった。 1990年代には、ギター歌手の公演が人気を集めた。当時、キム・グァンソクの公演を見るために集まった観客で客席はもちろん、通路までがぎっしりとなった。しかし華やかな時代が色を失うほど慢性的な財政難を経たセシル劇場は、1月7日に『アンネ・フランク』を最後の公演に、42年の歴史を後にしたままで閉館手順を踏まなければならなかった。

    貞洞「セシル劇場」が4月に再オープンする。いったん閉館して、3ヶ月ぶりだ。ソウル市は21日、文化再生事業の一環である「セシル再生プロジェクト」を通じてセシル劇場を保全する一方で、この劇場を貞洞「大韓帝国の道」と連携して、歴史の再生拠点にするという計画を明らかにした。

    再開館するセシル劇場は「大韓帝国の道」の活性化拠点として活用される。大韓帝国の道の帝国時期(1897~1910年)に建った各国の公使館と近代教育機関などを、徳寿宮・貞洞キルを中心に集中した歴史資源を一つにまとめる探訪路だ。途切れている徳寿宮の石垣道70メートルがつながると、セシル劇場から貞洞内部の他の地域に移動しやすくなり、セシル劇場は徳寿宮の石垣道、高宗の道、両履齋路など貞洞歴史文化探訪の主要経由地となる。また右側に徳寿宮、左側には聖公会大聖堂の異色の建築物、正面には世宗路とソウル市庁が見えるセシル劇場の屋上スペースは、市民の休憩スペースに変貌する。

    セシル劇場は商業主義演劇に反対し、新しい時代の精神を叫んでいた「小劇場」演劇の中心だった。ソウル演劇祭の前身である「大韓民国演劇祭」の第1回めはセシル劇場で開催された。また反独裁民主化運動の「6・10抗争」民主化宣言がなされた歴史的な場所でもある。しかし2000年代に入って観客が大きく減り、高額の家賃に対処できず、借金に苦しんだった。セシル劇場のキム・ミンソプ劇場長は閉館当時、「1300万ウォンに達する家賃に、人件費と各種運営費だけでも毎月2000万ウォン以上の費用がかかるが、毎日2回ずつ365日の公演を上げても費用をまかなう余裕がなかった」と説明した。

    これに対してソウル市は、セシル劇場のオーナーである聖公会ソウル大聖堂と協力してセシル劇場を長期リースした後、これを民間劇場の運営者に再賃貸することにしたが、家賃は昨年の水準よりも10%以上下げて、5年以上の長期賃貸する形だ。セシル劇場の運営者は家賃の一部(月100万ウォン)と運営費を負担することになる。市は来月5日まで劇場を「公共的空間」として運営する演劇関連の非営利法人、または団体(ビジネスキャリア5年以上)を公開募集して選定する計画だ。

    朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は、「貞洞は近現代の時代と疎通し享受していたところであり、その中でセシル劇場は民主化と時代精神の空間」だとし、「都市再生は物理的な都市環境だけを改善することではなく、生活の中で失ってはならないことを守りつつ、その時代に合った形で再生して長く維持するところに意義がある」と語った。

    セシル劇場の再開館ニュースを演劇界も歓迎した。俳優カン・ソグは「大韓民国のすべての俳優と演劇関係者には、セシル劇場のおかげで美しい思い出が一つくらいはあるだろう。それだけ韓国演劇史に重要な役割を果たした劇場」だとした。
  • 毎日経済_チュ・ドンフン記者/キム・ヨンジュ記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2018-03-21 17:18:19