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澗松美術館の宝物展…東大門デザインプラザ

    • ソウルの東大門デザインプラザ(DDP)デザイン博物館で美術関係者が、「澗松」全鎣弼(チョン・ヒョンピル)が1935年に日本の骨董商から購入した国宝第68号「靑磁象嵌雲鶴文梅甁」を鑑賞している。 イ・チュンウ記者



    ソウルの東大門デザインプラザ(DDP)デザイン博物館の照明の下、玉の色が神々しく輝いた。めでたい雲が刻まれた国宝第68号「靑磁象嵌雲鶴文梅甁」の表面には鶴69羽が飛んでいた。まわしながら鑑賞するとまるで鶴1000匹が生息するようで、「千鶴梅甁」とも呼ばれる。 13世紀の高麗時代から800年以上を続いてきた鶴の飛翔を守った人物は文化財の守護者である「澗松」全鎣弼(チョン・ヒョンピル、1906~1962)だ。

    澗松(カンソン)チョン・ヒョンピルは日本植民地時代の1935年、日本の骨董商の前田才一郞からこの高麗青磁を2万ウォンで買い入れた。当時のソウルの瓦屋根の家20軒ぶんの値段だった。 2年後には日本に住んでいたイギリス人の弁護士John Gadsby(ジョン・ガスビー)に家400軒ぶんの金を与えて高麗青磁20点を取得した。日帝時代に所得税の高額納付者「全国トップ10」に上がったほどの巨富だった澗松(カンソン)は、ほぼ全財産をはたいて文化財8000件・2万点を守った。 1936年には日本のオークション会社京城美術倶楽部で日本の山中商会を破り、「靑磁象嵌雲鶴文梅甁」を1万4580ウォンで落札した。熟練した運筆で菊と蘭そして昆虫を描いた18世紀の朝鮮白磁で、国宝第294号に指定された。

    展示場で会った彼の孫である澗松美術館のチョン・インゴン館長は、「祖父は莫大な財産のうちの98%を文化財の購入と普成(ポソン)学校の運営に使ったと聞いている」と語った。

    • 澗松チョン・ヒョンピルが筆写した「3・1運動独立宣言」



    澗松は文化財だけでなく、民族学校も守り通した。教育を通じて民族の精神を守ろうと1940年6月、財政難にあえぐ普成高等普通学校を買収した。この学校の教師と学生が1919年の「3・1運動」を主導した。学校財団の天道教の人士15人が「3・1運動」の民族代表33人に含まれたし、普成学校長の崔麟(チェ・リン、1878~1958)が核心的な主動人物だ。 5回卒業生のソン・ゲベク、6回卒業生のキム・ドヨンは日本の東京で「2・8独立宣言」を主導して「3・1運動」に火をつけた。 3月1日の朝から教監のキム・イルと在学生たちが力を合わせ、朝鮮独立新聞を作って配布した。日本官憲に逮捕されて裁判を受けた学生だけでも20人にのぼった。

    「3・1運動」100周年を迎え、澗松美術文化財団とソウルデザイン財団が用意した「3・1運動100周年澗松特別展」で、澗松が直接筆写した独立宣言書を見ることができる。 1946年、普成学校の教長職を務めた澗松は、3月1日の卒業式のときに生徒に朗読するために独立宣言書を書きうつした。ハン・マンホ澗松美術館企画室長は、「10代の頃に3・1運動を目撃した澗松先生は、20代半ばから文化財を収集するべきだと使命感を感じました。私たちの歴史と文化を理解するためには、学校や遺物を守るべきだと考えたのです」と説明した。

    今回の展示場には澗松の独立宣言筆写本をはじめ「靑磁象嵌雲鶴文梅甁」と「白磁靑畵鐵彩銅彩草蟲蘭菊文甁」など、日帝に対抗して保護された国宝6点と宝物8点、バーチャルリアリティ(AR)でデジタル化された遺物15点などが展示される。 1933年、親日派の宋秉畯(ソン・ビョンヂュン、1858~1925)の家で一握りの灰として消えるところだった謙齋 鄭敾(キョムヂェ チョン・ソン、1676~1759)の画集である宝物第1949号「海岳傳神帖(ヘアクチョンシンチョプ)」も陳列されている。ソン・ビョンヂュン家の作男が焚き付けとしてかまどに入れようとしたところを、骨董商のチャン・ヒョンスが買いとり澗松に売った。珍景山水画風がよく表れた「斷髮嶺望金剛山」「金剛内山」、まろやかな筆墨の境地を示す傑作「佛頂台」などを鑑賞することができる。

    澗松が日本の文化財搬出口だった京城美術倶楽部で求めた代表的な遺物である「隷書対聯」(宝物第1978号)や「梣溪」(宝物第1980号)など14点も鑑賞することができる。ジョン・ガスビーから購入した高麗青磁20点の中では、国宝第270号の「靑瓷母子猿形硯滴」がひときわ目を引く。 12世紀中期に製作された箱型青磁で、子を抱いている母猿の姿を形象化した硯滴だ。全体的に穏やかな気泡のある澄んだ緋色釉薬を使用した。母猿など水平方向に亀裂があるが、全体的に非常に優れた様式を示す。

    今回の展示はこれまで5年のあいだ進めてきた、澗松美術文化財団のDDP展示のしめくくりだ。ただし建物の地下に位置する遺物管理室を通じた空間コラボレーションは続く。

    現在、澗松美術館の所蔵品200点あまりが保存処理されている。代わりに5年ぶりにソウル市城北洞の澗松美術館の扉を開けて、早ければ今年の秋から展示を続けていく計画だ。また、文化財庁の支援を受けて収蔵庫を新築するなど、1950年の韓国戦争前の葆華閣(ポファガク/旧澗松美術館)の姿に復元する工事に着手する予定だ。大邱澗松美術館の設計も年内に開始されると明らかにされた。展示は3月31日まで。
  • 毎日経済_チョン・ヂヒョン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2019-01-03 21:04:47