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韓国「古典モリ」の権威…イム韓国放送古典モリ専門家協会会長


    • イム・スビン会長が「トゥレモリ」や「テンギモリ」をはじめ、私たちの伝統古典モリ(ヘアスタイル)を説明しながら明るく笑っている。イム会長は「政府がもう少し関心を持って、古典モリの保存と伝授のための支援をしてくれれば」と語る。 [イ・チュンウ記者]


    先月28日の午後、ソウル市清潭洞(ちょんだむどん)のクムハクビルにある「韓国放送古典モリ専門家協会」の事務所。この協会のイム・スビン会長(52)が、新聞のスクラップブックを一冊持ってきてテーブルの上に広げた。

    イム会長は韓国の古典モリ(古典的ヘアスタイル)界最高の専門家だ。国内の時代劇女優のなかで同氏の手を経ていない人はいない。そんな同氏が記者に示したのは、2009年2月のある新聞記事だった。5万ウォン札の図案を大衆に初めて公開するという内容だ。

    「当時の記事で申師任堂(シン・サイムダン)の肖像を初めて見ました。びっくりしましたよ。李鍾祥(イ・ジョンサン)画伯が描いた申師任堂の顔がまさに私だったから。ヘアスタイルだけモデルになることにしていたんですよ」。

    交互にみると本当にそうだ。 5分けの髪のわけめの上に加髢(カチェ)モリ(髪の上に他の髪を付け加えたもの、かつら)、ゆるやかなあごの線のあいだの薄くも厚くもない閉じた唇、なめらかな眉の下のバランスのとれた2つの目。そっとどこかを見つめる女性からは、古典的品位が感じられる。どうしてなのだろうか。

    時は2007年11月27日だった。伝統服飾分野の第1号博士であるユ・ヒギョン先生の家に何人かの人たちが集まった。シン・サイムダンの肖像を描くことになったイ・ジョンサン画伯と韓国造幣公社の関係者、檀国大学石宙善記念博物館長などだった。

    イム会長はこの一団の要求を受け入れて、古典的ヘアスタイルのモデルのみを務めることになっていた。ユ博士が作った韓服二着を交互に着て写真を撮って、イ・ジョンサン画伯がそれを見ながら肖像画を描く予定だった。

    「韓服を着て朝鮮時代の良家闺秀モリにしつらえて、カメラの前に立ったわけですよ。イ・ジュンサン画伯は40代前半の申師任堂を描くことになってました」。

    当時、イ画伯の絵を見た一同は、なんらの異見もなくイム会長の顔までも新券に使うことにした。イム会長も40代前半だったうえに、シン・サイムダンの古典美をこれほどうまく表現することは難しかっただろう。

    - 5万ウォン札を最初に見た感じはどうでしたか。

    △ 当惑しましたよ。そうするうちに、妙な気分に包まれました。韓国の紙幣に女性が描かれたのが初めてでしょう。それに私の顔がそこにあったから。いまは家門の栄光と思っています。(笑)

    - 現在、国内の古典ヘアスタイル界をひきいていらっしゃる。

    △ この分野に参入してから20年ほどになりました。時代劇に出てくる方がたのヘアスタイルは、みんな作りました。映画やドラマに放送、ファッションショーとお祭りを問わず、古典的なヘアスタイルが必要なところはどこでも行きました。国楽人のソン・ソヒさんは小学校5年生の時から髪の毛を整えました。

    - コロナ19の余波はありませんか。

    △ 昨年の2月27日、龍山にあるホテルで漢陽大の学生とファッションショーをしました。その後、すべての日程がキャンセルになりしたよ。今年の5月に「春香祭」が正常に開かれるかを見守っています。2019年ころまでは3ヶ月に一回の割合で海外に出て行ったんですよ。ヘア・メイクアップ関連の大会が開かれるたびに、私たちのモデルを通じて現地の人々を驚かせました。

    - 反応はどうでしたか。

    △ 爆発的です。韓服も派手ですが、古典モリはたいへんめずらしいようです。長い髪をぐるぐると巻き上げるヘアスタイルを、どこで見ることができるでしょう。そこに『アリラン』『懐かしい金剛山』のような音楽まで流れるので、まるで愛国者になったみたいで。(笑)

    - 忘れがたい逸話はありますか。

    △ 3~4年前に米国ワシントンDCの独立記念館近くの公園に行きました。テントをひろげることができなくなって、トラックの上で古典モリのファッションショーをしました。小規模だったけれど、地元の人たちにすぐさま囲まれたのです。撮影する方も多かったですね。このような活動が知らず知らずのうちに影響をひろげるようです。先日、ポップ歌手のレディー・ガガ氏が「トゥレモリ」(髪を後ろから編んで前頭頂部に丸く固定させた形)をまねて舞台に上がるのを見ました。どこかで私たちのヘアスタイルに接したのではないでしょうかねえ?

    - 古典モリの重さはどのくらいですか。

    △ 3㎏から10㎏までですね。海外のフェスティバルを見ると、外国人のヘアスタイルはみんな軽いでしょう。一方で私たちのモデルはカツラを付けると重いとわあわあ泣きました。ドラマ撮影現場の俳優たちも同じですよ。実際にコドゥミやオユミ、オンジュンモリなどのかつらやトンモリは一人ではできません。宮中宮闕の貴族たちがしていたヘアスタイルでしたから。一人でできないという事実そのものが、身分を象徴したんですよ。

    - 一人ですることができるモリには何がありますか。

    △ 後ろ髪を巻いてピニョ(かんざし)を挿す「チョンモリ」、未婚女性が礼服を着るときの「セアンモリ」、既婚女性が日常でしていた「チョクチンモリ」などが代表的です。古典モリは種類が本当に多様ですね。しかし、さして理由もなく消えたものが大半ですが。

    - 理由は何ですか。

    △ 伝統服飾に対する資料はよく確立されていますが、古典モリの方はそうではないんすよ。私が古典モリ研究で博士号を受けて、2012年に韓国放送古典モリ専門家協会を設立し、1~3級の資格試験を直接作りました。大学の講壇で講義をしたり海外の舞台を回ったことも、国がやらなければならないという切迫感からです。これでは美しい文化が消えるだけで…。

    - 古典モリに飛び込んだきっかけは?

    △ はじまりはふつうの美容師でした。 IMF外国為替危機(1998年)の後に暮らす道を見つけるのが優先でした。 1999年に美容免許を取って、ショップを初めて開いたんですよ。その時は分野ごとに試験が分かれたのではなく、総合試験でした。ヘアスタイルからつま先の美容まで、全分野を渉猟しなければならないんです。パーマと染色にメイクアップ…荷物を山のように取りそろえて、試験場で半分の20人ずつおこなう式でした。それを通過した後、平沢市庁前に巣を張ったんですよ。当時の看板は「`ユートゥー美容室」でした。

    - むかしから手先が器用だったんですね。

    △ 私の故郷は西海の安眠島(あんみょんど)です。島に入る入り口の水流は小川のように穏やかです。その美しい漁村で6人兄弟が育ったんです。父を早くに亡くして、母が一人で育ててくれました。上の階の祖父の家では白黒テレビで時代劇をよく見ましたよ。女優たちの頭がきれいで魅惑されたりしました。干潟で貝を掘った記憶もしみじみ思いだします。貝を見ると表面の模様が光を受けて多彩でしょう。そんなのを見ながら漠然ときれいなデザインをする人になりたかったような気も…。

    - 古典モリまでに手を出すことことになったのはいつからですか。

    △ 1999年に美容室を運営しながら、伝統婚礼でチョンモリを整えたりしたでしょう。正式なチョンモリというよりも、東洋と西洋の融合式でした。しかし古典モリのための知識が不足していたので、深く知りたいという熱望がでてきました。そうするうちに2005年に平沢国際大学に遅まきながら入学して、古典モリの研究を始めました。その年齢は37でした。

    - 生業と並行することは容易ではなかったと思いますが。

    △ 歳月がどのように過ぎ去ったのかわからないほど忙しく暮らしました。客を迎えて従業員の管理、学校通いに論文書き。問題は古典モリに対する資料が貧弱だったことでした。体系化された文献もなかったんですよ。さらにデータはすべて漢文だし…。けっきょくは貴族・士大夫・賤民が使う装飾やかんざし、装身具の意味、象徴などを一つ一つ整理していったんです。そのようにして平沢大学で修士号を取得して、清潭洞に巣を移しました。

    - 国内の大学には関連する学科がありますか。

    △ いいえ、美容大学だけでも250~270校ほどあります。しかし古典モリの科目で3単位を与えるのは一か所もありません。実技だけを重視しているからでしょう。古典モリは歴史・文化・社会を網羅する人文学ですから。望むものがあるとするならば、国内の大学に古典モリが正式の学科として認められることですね。そうすればこそ私達の文化の命脈がつながることができるから。

    - 政府や地方自治体からの支援はありませんでしたか。

    △ なかったです。ソウル市庁で支援を受けようとしましたが、ちょっと変でした。協会からこれまで行使した内容を総合して伝達したことがあります。当然、文化関連の課で検討してくれると思ったのに、美容分野と保健福祉課に送られました。保健福祉課では臨床・病理のような無関係な場所に送りましたしね。


    • イム・スビン会長が朝鮮時代の上流階級の女性たちの代表的な髪飾りのカチェとかんざしを持って、古典モリの文化について説明している。 [イ・チュンウ記者]



    - 消えていく伝統を維持するということですが。

    △ それでも嬉しいのは、10代の子供たちが自生的に古典モリに関心を持ってくれることです。

    - どのような意味ですか。

    △ SNSやYouTubeのようなものが発達して、こうなったのだと思う。いまは映像であれ写真であれ、古典モリにより簡単に接することができるでしょう。どこかでそれを見た10代の若者が、わたしのショップを三々五々訪問してきたりしています。記念写真用にしてみたいんですって。

    - どのようなスタイルを一番好むのでしょう。

    △ トゥレモリのようなキーセンモリですね。鏡を見てわあと笑って、どれほどうれしいのか。私たちの古典モリに触れながら大きくなることがどれほど嬉しいか。

    - ちょっと想像してみる。後日、チョンモリが流行して後ろ髪にかんざしを差し込んで歩く若い女性の姿を。記念日的な意味ではなく、日常の中での風景としてだ。イム会長は「それは私が夢見ている未来」だとした。「この伝統が保存されてこそ可能でしょう。たまに思い描いたりします。10・20代だけでなく、乗務員が伝統的なヘアスタイルで乗客を迎える姿を。どれほど美しいでしょう!(笑)もう少し関心と支援が加わったなら、不可能ではないだろう。

    △△ She is...

    1968年生まれで韓国放送古典モリ専門家協会の会長を務めている。古典美容専門企業の五色丹粧の代表を兼ねている。イ・ジョンサン画伯が描いた5万ウォン紙幣の申師任堂の実際のモデルでもある。2005年に研究に飛び込んで、古典モリの普及に力を入れている。ソギョン大学の美容芸術学科で仏画に描かれた古典モリを研究して博士号を受けた。2019年「韓国を輝かせた誇らしい韓国人大賞」を受賞した。

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  • 毎日経済 キム・シギュン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2021-02-05 22:21:56