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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    韓国人が白衣民族と呼ばれるほど白い服をたくさん着ましたか?
  • A.
    1920年の蔚山(ウルサン)の市場の風景です。
    白黒写真ですが、市場にぎっしり集まった人々の身なりがすべて白に見えます。

    実際、19世紀に韓国に訪れた外国人は、老若男女がほぼ白い服を着ていることに強い印象を受けました。ドイツ出身のユダヤ人商人オペルト(Ernst Jakob Oppert)は、彼の著書『朝鮮紀行』に「生地の色は男でも女でも白い」と書きました。

    韓半島に住む住民たちが白い服を好んで着たのは、昔の中国の歴史書にも出てくる話です。
    3世紀に出版された『三国志』の魏書、東夷伝に、高句麗と扶余の人々が白い服を好んで着たという内容があります。人が集まる場所は例外なく、綿畑のように白いという記録もあります。

    少し違う記録もあります。
    舞踏塚など、高句麗の古墳壁画を見ると、登場人物の服の色が様々であり、北宋の使臣、徐兢の『高麗図経』には、高麗の女性が身分の上下を問わず、黄色の服を最も多く着ていたと記されています。

    韓国人にとって白衣の割合が大幅に増えたのは、朝鮮王朝に入ってからです。白色は光の色であり太陽を象徴するため、白い服を通じて空崇拝を実践に移したのでしょう。感情を表す色はおとなしくなかったり不道徳だと思ったそうです。

    もしかしたら、朝鮮を支配した性理学の影響が民間にも影響を与えたためかもしれません。歌と踊りを楽しんだ高麗が享楽に心酔し滅びたというふうにです。

    ところが、当の朝鮮の支配階層は白い服に身をすくめました。
    慕華思想と性理学に深くはまったあげく、韓半島は中華の東側にあるので青い服を着るのが正しいとし、国民に青い服を着るよう勧めました。

    初代の王である太祖から始まり、太宗、世宗、燕山君、仁祖、顕宗、粛宗、英祖に至るまで、数回にわたって青色の服を勧める施策を下しました。粛宗は青い服を着ろという国名まで下し、顕宗時代には白衣禁止令も下しました。

    しかし、朝鮮人の白い服に対する愛情は変わりませんでした。もしかしたら抵抗の意味で国が禁ずるほど白い服を取り出して着たのかもしれません。1960~70年代の軍事独裁政権に抵抗する民主主義の闘士たちも白衣を好んで着ていましたが、同じ脈絡です。

    白い服を着る人を減らすのに最も大きな影響を与えたのは、朴正熙(パク・チョンヒ)政権が全国的に展開したセマウル運動(1970年代から始まった地域社会開発運動)です。韓服(ハンボク)や道袍(トポ)などの伝統衣装よりも、ナイロンで作った緑色のセマウル服を着させ、朝鮮王朝の王たちの恨みを晴らしました。

    白衣を着る習慣を今日はほとんど見つけることができません。ただ、白がほとんどの服に若干の飾りとして使われたり、色の服に白線模様や文字がある服を好む人はかなり多いです*。無彩色を好む傾向は依然として強いという意味ですね。

    * 依然として白い服が最も売れている国に挙げられます。

    白衣民族という言葉自体が貧しさを象徴するという主張もあります。
    朝鮮の学者の中でもこれに同調する人もいます。18世紀、実学者のイ・イク(李瀷)も彼の著書『星湖僿説』に、染めた服を着るのは国への損失が大きいと記しています。

    だからといって、朝鮮人が着ていた白い服が全く染めていないのかと聞くと、そうではありません。 染めていない織物は黄色っぽい色です。朝鮮人が着ていた服が完全に白であったことを考えると、染料で染めていたことが分かります。雪のような白い白衣は値段もとても高かったそうです。

    とにかく白い服にこだわるせいで女性たちの苦労は並大抵ではありませんでした。
    英国、ビクトリア時代の女性地理学者イザベラ・ビショップ(Isabella B. Bishop)の記録からも女性たちが洗濯をするために大変苦労したという一節が見られます。

    洗剤も石鹸もなかった時代に洗濯はどうしたのでしょうか?

    おしっこと木を燃やして作った灰です。木を燃やして作った灰に水を注いで絞ったものと、長く発酵させたおしっこを混ぜて洗濯する方法が朝鮮時代の生活白書である『閨閤叢書』にも登場します。おしっこをして発酵させるのは大変じゃないかもしれませんが、臭いはすごかったはずです。