記事一覧

ニュース

数字経済

テクノロジー

コラム

ビューティー

カルチャー

エンタメ

旅行

韓国Q&A

新造語辞典

もっと! コリア (Motto! KOREA)
コラム > オピニオン

[モノの哲学] ダイアリー、光るのは到着ではなく出発の時間

    一つ一つ分かれた格子は正確にすべての空間を30個または31個の同一な四角形に分割する。この分割は、12の月のカレンダーとして包括され、365個の部屋に分かれている。この厚いモノは、365個のノートの束であり、時間の本だ。

    ダイアリーというモノを購入するとき、内部の四角形の空欄は誰にでも公平に機械的に分割されている。この分割は、すべての人に同じように与えられた碁盤の格子のように見えたりもする。置いていない碁盤に世界が現れないように、まだ現実との交渉がないこのモノの表情は、無味乾燥し、事務的だ。

    しかし、この格子板が碁盤やノートの空白と同じだとはいえない。そこには、すでに「時間」という世界の地平が敷かれている。一年の終わり頃、自分の時間を早めてみたり、その時間をあらかじめ見たい人はときめく心で、来年のダイアリーを購入する。そして、格子板の空欄に個人の望みと計画を込めて、到来していない一年を先に詰め込む。

    一律的な時間の格子板が、違う色と太さに変わるのもこの時からだ。これらのモノは、時間の奴隷ではなく、主人になろうとする個人の意志と希望を盛り込んだノートだ。自分がやった仕事を書くこともあるが、一年、月、週単位で「すること」と「やりたいこと」を記入することがこのモノの核心だ。自分に向かって到着する人生の時間を受動的に待つよりは、自分が時間の操舵手になって必要な生活の陸地に届こうとする生活の羅針盤だ。

    もちろん、どんな優れた操舵手も波の強さと高さをすべて予測することはできない。自分で企画することができず、制御できない不確実な他社として置かれているのが未来という時間でもある。行きたい時間の島々を決めておいて、その方向をダイアリーに書いて計画したからと、その島にいつもたどり着けるわけではない。

    しかし、このモノに何かを書く瞬間、私はそれ自体で輝く他の時間のシルエットを見る。重要なことは、到着するのではなく出発すること、新しい「スタート」を決心することだ。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-01-02 15:53:39