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「HOZO」クォン・スノ…カカオフレンズを作った男

    • 「イモティコン(顔文字)」作家のHOZO(ホヂョ)氏がソウル市龍山区の作業室で、自分が作ったキャラクター「カカオフレンズ」人形と一緒に横になっている。彼はカカオフレンズを見るたびに「満足感を感じる」と語る。 イ・チュンウ記者



    短い髪を後ろになでつけながら、澄ました表情で流し目をする猫の「ネオ(NEO)」、誠実で自信あふれるがヨチン(女親=ガールフレンド)のネオの前ではたじたじとなる犬の「フロド(FRODO」、赤ちゃんのお尻を連想させるが実はバラ色の2つのほほが魅力的な桃「アピーチ(APEACH)」。ウサギのように見えるが実際にはウサギの服を着ているたくあん(タンムジ)の「ムジ(MUJI)」、ムジの横にくっついている恐竜のような緑色のワニ「コン(CON)」。太陽を避けようとサングラスをかけたモグラの「ジェイジー(JAY-G)」、小さい足を隠そうと足ひれを履いているアヒルの「チューブ(TUBE)」... 。

    大韓民国人の中でこれらを知らない人はいない。 4700万人が利用する国民メッセンジャー「Kakao Talk(カカオトーク/カトク)」のキャラクター「カカオフレンズ」のことだ。 2012年、「カトク イモティコン」としてリリースされた後、カトクでの会話にもれなく登場して、「国民キヨミ(愛されるキャラクター)」になった。これらはまもなくモバイルゲームや各種の販促商品にまで拡散し、いまやカフェや博物館からデパートにまで、私たちの日常のあちこちに登場して単調な日常に活力を吹き入れている。

    老若男女が愛するこれらの「国民キャラクター」は、作家ホヂョ(クォン・スノ、42才)氏の作品だ。 2000年代初頭にミニホームページサービス「サイワールド(Cyworld)」で公開した絵文字「シニカルウサギ(CYNICAL RABBIT)」でキャラクターブームをまき起こした彼は、カカオトークと呼ばれるモバイルプラットフォームではカカオフレンズを誕生させた。 2016年にカカオが直接作ったライオンのキャラクター「ライアン(RYAN)」を除いた7種のカカオフレンズは、明るいキャラクターを作ってほしいというカカオの依頼を受けたホヂョ氏が3ヶ月でサクサクと作ったフレンズたちだ。

    サイワールドに続きカカオトークでも絵文字の大ヒットを立て続けに決めた彼は、「できの良い絵文字は人々の共感を引き出すこと」だとし、「隠すことなくもったいぶらず、私たちの姿をそのまま盛り込んだキャラクターを作りたい」とした。

    最近、ソウル市龍山の作業室で会ったホヂョ氏は、「カカオフレンズのほかにもシニカルウサギ、犬のキャラクターのブラウン(HELLO BROWN)、豚のキャラクターのベッキー(SASSYGIRL BECKY)も、人との接点を増やす作業をずっと続けている」とし、「今年はキャラクターのストーリーを強化する作業に注力したい」と語った。

    絵文字はコンテンツ産業のメインストリームに進入している。カカオトークの絵文字は2011年の6種から、昨年は5500種に爆発的に成長した。カカオによると、絵文字の販売で10億ウォン以上を稼いだ人は、昨年は20人を超える。大学生や会社員に主婦など、多くの人が奇抜な顔文字一つで「人生逆転」を夢見て絵文字の製作に挑戦している。絵文字の経済的価値を知らなかった2000年代からこの分野に目を覚ましたホヂョ氏は、「絵文字を作るためには自分だけの個性とアイデアが重要。(日本の漫画)ドラゴンボールを見ると、どのキャラクターを見ても同じ作品とわかることができように、一目で認識可能な自分だけの絵のスタイルがなければならない」と助言した。

    以下はホヂョ氏との一問一答。

    - いまやカカオフレンズはとてもお馴染みのキャラクターだが、2012年に初めて出てきたときは、このように人気が高まるか判らなかったようだ。初めはカカオフレンズをどのように構想したのか。

    △ 2012年7月にカカオから会社を代表する、明るく親しみやすいキャラクターを描いて欲しいという連絡がきた。最初は3種類のキャラクター製作の要請がきた。何食わぬ顔の性格にかつらをかぶった猫のネオを最初に作った。続いてネオとつきあっている金持ちの都会犬のフロドを思いついた。猫と犬はライバルなのに、一緒に過ごして愛憎のまじった関係を視覚化した。したがって、この二人の愛におちいると面白そうだった。もともとは二つのキャラクターが徐々に恋に落ちる過程を描きたかった。ところがいざ出してみると、いつの間にか二人が付き合っていた。



    - ムジなど残りのキャラクターはどのように出てきたのだろうか?

    △ ネオとフロドを完成してからジェイジーまで、総3種類を完成させた。他のセットも描いて欲しいといので、民俗説話『ウサギのキモ』をひねったストーリーを構想した。竜王の病気を治そうとモグラの秘密要員ジェイジーが陸地に来るが、ウサギの服を着た「たくあん(タンムジ)」のムジをウサギだと思って追いかけるという設定で想像を続けた。ムジの横にはムジを育てた正体不明のワニのコンがくっついているが、コンが桃を育てたいという思いで桃の木から脱出した「アピーチ」につきまとう。一方、ネオとフロドは恋人のあいだがらだがよく喧嘩し、この間に挟まれた小心の友人がある。それが小さな足を隠そうと足ひれを履くあひるのキャラクター「チューブ」だった。

    - カカオフレンズはひたすら可愛いだけだと思ったが、みんなコンプレックスがある。ムジはウサギの服を脱いだら小心なたくあん(タンムジ)に変わり、フロドは金持ちだが雑種という出生の秘密を抱えている。猫のネオの髪の毛は実際にはカバル(かつら)だ。

    △ 絵文字は共感してこそ人気を得ると考えている。カカオフレンズはそれぞれ痛みを持っていて、それで共感を得たようだ。わたしたちはみんなコンプレックスを持って生きているでしょう。これを認めて笑いながら生きるのが人生だと思う。少し足りないキャラクターに設定したのが共感を得て、人間的に感じられるようだ。

    - あなたのコンプレックスは何なのか?

    △ 私はコンプレックスが多い。背が低くてハンサムでもない。そして私は高卒だ。人々は学歴は関係ないと言うが、正直には学歴が高いほど機会が多く与えられるじゃないか。高卒という部分がコンプレックスだったが、今は克服した。大学で美術を専攻しなかったが、その期間を異なる経験をした。スペックは不足だが、他の経験のおかげで新しい想像力を持つことができたと思う。

    - いつからキャラクターデザインに興味をもったのだろう?

    △ 実業系の高等学校のデザイン科を出た。その時はずっと絵を描いたし、軍除隊後にグラフィック関連の学校に通った。当時、有望な職業はWebデザインや3Dアニメーション制作の分野だった。ところがWebデザインは編集中心の作業なので、楽しみがなかった。 3Dアニメーションはコンピュータの仕様にも影響を受けた。高性能コンピュータがなければ作業は容易でなかった。演技をしてみたくてソウル芸術大学への入学を準備した。パントマイムや演技の授業は楽しかったが、舞台恐怖症を克服することができなかった。そんな悩みをたくさん経験した。自分がうまくやれるのは何であり、好きなものは何なのか。

    - そしてどのように決定したか?

    △ いくつかを選び出してみると、普段はキャラクター描くのが好きだった。いつも自分の絵を描いてたいという欲を満たすことができるようで、キャラクターデザインは私がうまくやれるようだった。キャラクターデザインをやると言ったら、周りから「厳しい道」をいくと留め立てされた。そちらに就職したところで、キティやミッキーマウスをコピーする作業だと思っている頃だった。

    - 友人とは別の道を行くことは不安ではなかっただろうか?

    △ どうせうまくいかないだろうし、リスクは心配しないことにしようと思った。人生を生きていると自然に失敗することになるし、であればやりたいことを優先してみようという気持ちだった。失敗が重なってこそ経験が積み重なるわけだし、機会が訪れると考えている。うまくいかなかってもまずやってみないと。一度や二度失敗したからと、なげてしまってはいけない。

    • ホヂョ氏がシニカルウサギとブラウンを描いている。ホヂョ氏は「今年はシニカルウサギとブラウン、ベッキーなど他のキャラクターのストーリーを開発し、促進することに注力する」と語る。 イ・チュンウ記者



    - 実行力がいい。

    △ いつもやりたいことを直接経験するスタイルだ。芸能人が素晴らしく見えて演技学院に通い、スペインのサンティアゴが気になって巡礼道も行った。一度やってみようかという気持ちや、面白そうなことが起これば試す方だ。アイデアが浮かぶと必ず実践に移すスタイルだ。一人だけの楽しい実験をたくさんやってみて得られたことが、自分のスタイルに昇華されているようだ。これまで培った経験こそ私の「スペック」だと思う。

    - 最初の仕事はゲーム会社だった。

    △ 専門学校を辞めて何をすべきか考えていたところだった。 25歳のときにベンチャーブームで、ゲーム会社がたくさんできた。キャラクターデザインパートで入って6ヶ月通ったが、会社が滅びた。以来、ペクス(失業者)として過ごしたが、その時にガールフレンドが離れて。恋愛するには職場が必要だという考えで、また就職活動をしたが運良くネクソンに就職した。ネクソンのPCゲーム「クイズクイズ」のアバターアイテム描く仕事をした。ところが既存のマニュアルで描かなくてはならないので、新しいものはなかった。自分の絵柄を描いてみたいいう熱望が大きかったが、会社に通いながらでは実現しなかった。

    - 息苦しさをどのように解消したのか?

    △ ネクソンに通いつつ、後半にはデザイナーを管理する職務を担当した。管理職は仕事があまりないでしょう。その時に個人ホームページ「ホヂョネット」を運営した。この時に天女と木こり、人魚姫などの童話をおもしろくパロディにした作品を掲載した。「人魚姫は水泳を頑張ったので肩が広くないか」「シンデレラが脱いだ靴を王子がひとめでわかるほどなら、シンデレラは足が大きかったんだろう」と想像して、童話をパロディにする多くの作業をした。言葉遊びの絵も描いた。このような作品がB級感性を探していた人たちにアピールして、インターネット上で徐々に有名になった。そんな中、2005年にサイワールドからスキン作業をしてほしいと連絡がきた。そうして描いたのが「シニカルウサギ」だ。

    - 肩が広い人魚や足の大きなシンデレラなど、発想が新鮮だ。幼い頃からちょっとひねくれた考えをしょっちゅうしていたのだろうか?

    △ 学校に通う時から漫画を見てもドラマを見ても、なんの変哲もない場面が嫌だった。マンが本でキャラクターが脱ぐのがありふれて見えるが、審議のための水着を描いた場面を見ると「なぜみんなが知っているものを隠すのか?」と思った。素直になれないことは我慢できない。隠さず直接的に表現したかった。

    - 斜に構えた視線が「シニカルウサギ」と重なる。

    △ シニカルウサギは私の分身のような存在だ。私が本当によく似ているという気がする。最初は(米国のラッパー)ボビー・ブラウンのウサギダンスを踊るキャラクターでウサギを考えた。サイワールドのスキン作業を行いつつ、シニカルウサギを本格的に描いた。私の思考を表現するという単純な考えだった。それまでは可愛くてきれいな顔文字が多かったが、シニカルウサギはB級感性の感じが強かった。「世の中は疲れるね」と、きげんを損なっているという式だった。このような率直な感情を直接的に表現したが、それが通じた。

    - アプリケーション(アプリ)開発会社にも通った。

    △ ネクソンを辞めてフリーランスで過ごした時だった。スマートフォンが普及し、アプリの開発ブームが起きた。ネクソン時代に知り合ったチームの人たちがアプリ開発会社を作ったが、デザイナーが必要だと言う。序盤の熱意に燃えていくつかアプリを作った。ところがすべて失敗し、なんとか人気を集めたのがアプリ「みんんの顔」だった。目・鼻・口を選択してキャラクターを作成するアプリだけど、ダウンロードは500万件を突破した。しかし金は稼げず、けっきょくすべて滅びたわけだ。その時に大きく悟った。僕はネクソンに通ったときは常にチャンスがなかったと考えていた。機会さえ与えられれば、うまくやれると考えた。ところがアプリ会社に通う時はチャンスがいっぱいあった。やりたいようにできた。ところがすべてうまくいかなかった。「どんな状況でも100%完璧な条件はない」ということに気づいた。その後は状況のせいにはしない。

    - シニカルウサギ、カカオフレンズなど着実に人気のキャラクターを作り出す秘訣が気になるが…。

    △ キャラクターは継続的に描かれて露出されなければならない。プラットフォームが重要。フェイスブックやカカオトークなど、多くの人が利用しているところで流通してこそ作家に多くのチャンスができる。

    - しかし数千個の絵文字の中で人気を集めるものは限定されていないだろうか。より具体的な秘訣は?

    △ 私のキャラクターは大衆にアピールする必要があるため、常に「どんな目的を持って作業すべきか」と考えている。キャラクター独自の特徴はもちろん、人とコミュニケーションするために「共感」を引き出す作業をする。「君も感じて僕も感じる」共感ポイントをうまくつかもうとしている。

    - シニカルウサギでサイワールド時代にどのくらい稼いだのか?

    △ その時はまだキャラクターの著作権概念が発達していなかった。スキンが売れるたびにお金を受け取る構造だが、作家が分けて受け取るの割合が極めて低かった。カカオフレンズのときはkれほどうまくいくとは思わなかったし、著作権をカカオに100%渡す契約をして、初めて受けとった制作費が全てだった。ただしカカオフレンズがうまくいったから、カカオは追加の補償をしてくれた。

    - カカオフレンズの著作権はカカオが100%所有し、今ではすべての作業はカカオが行っている。さびしくはないだろうか。

    △ 2012年に初めてカカオフレンズをデザインし、約1年のあいだ引き受けた。しかしその後はカカオが直接行っている。カカオに作業をすべて渡してから、私は描いた絵が変わるようで物足りなさがあったが、最近は私よりももっとうまく作るので、むしろ学ぶこともある。また、カカオが製作・流通・マーケティングをしてくれたので、カカオフレンズがさらに成長することができたと肯定的に考えている

    *カカオは2015年、カカオフレンズの知的財産権(IP)を担当するカカオフレンズを別途法人として設立した。カカオフレンズはカカオキャラクター商品の流通・ライセンス事業を行う。昨年の売上高は前年比で38.5%増の976億ウォンを達成した。

    - シニカルウサギとベッキーやブラウンも描いた。3つのキャラクターは作家が100%著作権を持っている?

    △ そうだ。今年から3キャラクターの事業が展開される予定だ。 2年前に中国の会社とキャラクターライセンス契約を結び、今年から関連商品が出る。衣料メーカーとコラボをしている。ブラウンとベッキーはカカオフレンズに比べてあまり知られてみたいで、ストーリーを強化する予定だ。最近では豚のキャラクターのベッキーを、どのように女性顧客にアピールするか悩んでいる。どうしてもキャラクターの主な消費層は女性なのに、豚に対して拒否感があるように思えるので、親しみをもって接近する方法を悩んでいる。

    - 絵文字産業が急成長している。絵文字作家を夢見る人々に助言をするなら。

    △ 観察が重要。私はふだんは周辺をよく見回す。物事でも人物でも、あれこれ調べておいてこそ、経験を思い出して絵を描くことができる。望みどおりのイメージが出なければ、鏡を持って直接顔をうつしたり、セルフカメラで撮影する。最近では運転しながら隣の車や後ろの車を観察する。人々が運転しながら何をやっているのかをみると面白い。鼻をホジくるとかバックミラーを見るとか、似たような行動が出てくる。このようなことをつかんで絵文字に生かすと「ああ、私の姿だ」と共感を呼び起こすことができる。

    - カカオフレンズの友達は今年で7歳になった。人で言えばいまや幼稚園を卒業するころだ。なにか一言。

    △ 常に感謝したい。今後もほんらいの性格そのままに、すばらしい生を。

    ■ ホヂョ(HOZO)作家は...

    本名はクォン・スノ。 1976年生まれで仁德工業高等学校デザイン科を卒業。学生時代に「シンプソンズ」と「スポンジ・ボブ」を見ながら、すなおな絵を描くという目標を立てた。軍除隊後にデザイン学校に通ってキャラクター作家になることを決心する。

    ネクソンなどのゲーム会社でグラフィック担当者として働き、趣味で個人のホームページ「ホヂョネット」を運営して絵を描き始めた。童話をパロディにした彼の絵は、インターネットを介して話題になり、有名になった。 2005年にサイワールドの提案を受けて絵文字「シニカルウサギ」を作成し反響を起こした。 2012年にはフロドやネオなどカカオフレンズのキャラクター7種を作って、名実共に国民キャラクターを誕生させた。

  • 毎日経済_イ・ソニ記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2018-04-13 15:55:30