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市内バスのバスガールの哀歓

  • 市内バスにバスガールがいた頃の話だ。
    今は名前が少しかわいくなったが、その頃は次長と呼ばれていた。
    バス次長は若い女性たちだった。
    お兄さんと弟たちの学費を用意するために、貧しい家の食費を減らすために上京して肉体労働より厳しくて大変な仕事をした。

    「清涼里(チョンニャンニ)のジュンリャンキョに行きます」
    彼女たちが叫ぶ声はこのように聞こえたりもした。
    「いっそのこと死にに行きます(チャラリチュグロカヨ)」

    乗り物があまりなかった時代、終点から出発したバスは3個か4個の停留所を過ぎただけで満員になることが多かった。小さい体格でお客さんをバスの中に押し込んで、出入口の取っ手にぶらさがって扉をぽんぽん打って「オ~ライ」と大声を張り上げる人生は「オ~ライ(All Right)」とはかけ離れていた。

    満員バスの乗客は荷物のように扱われたが、彼女たちは石ころのように扱われた。 バスにぶらさがって行き落ちてケガをする事もよくあった。

    仕事が大変なだけではない。精神的苦痛も伴った。

    一日に18時間近い労働に激しくののしる酔っ払い、意地悪ないたずらをする乗客、子供の交通費をピンハネしようとするおばさん、回数券10枚を巧妙に切って11枚にする学生たちともめなければならなかった。それで終わりではなかった。寝泊りする宿所もかなりひどい場所だったし、ピンハネ*を確認すると言って身体検査をしながら、体を撫でる屈辱にも耐えなければならなかった。

    いくら賢くて勉強が上手でも田舎の女の子たちは中学校を卒業するだけでも感謝すべき時代、その頃素敵な制服を着て学校に行く女子高生もバスの乗客だった。彼女たちを見守るバスガールの心境はどうだったのだろうか?

    うらやましかったり、自分の不幸な境遇が恨めしかったりしただろう。しかし故郷の両親や兄弟、自分が汗を流して稼いだお金で上級学校に進学した弟の顔を思い浮かべながら「オーライ」と叫んだのだろう。

    時々、不愉快な気分になって学生回数券を出した女子大生に学生証を見せてほしいと言って、焼きもちを焼いたりもした。一般料金と学生料金が違うので、「見せてほしい」と要求をすることもできたようだ。本当に珍しいことだが、そんな中、口ゲンカになったりもした。

    市内バスの次長の人権は死角地帯に留まったが、車から落ちて重傷を負うなど、とても激しい場合も新聞で言及されるくらいだった。彼らを代弁する女性団体もあまりいなかった時代だった。
    現代ならば、彼女たちの人生は少し変わったのだろうか?

    当然そうなるべきだ。
    フェミニズム運動も疎外されて、力のない、無慈悲な資本主義社会で頼れる場所のない弱い存在を優先するべきだろう。

    病気の子供を抱く母親の心情で。男性たちの独断に相対して戦おうとするフェミニズムの進むべき 道がそこではないだろうか?
  • Lim, Chul | 入力 2019-02-27 00:00:00