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英雄になったマーク・リッパート駐韓米国大使、息子の韓国名は「セジュン」


  • 英雄になったマーク・リッパート駐韓米国大使、息子の韓国名は「セジュン」
マーク・リッパート駐韓米国大使(42)が韓米同盟の新しいシンボルになり、「英雄」として浮上している。絶対絶命の危機の瞬間に見せた毅然とした対処と韓米同盟に対する堅固な信頼に対して、市民とインターネットユーザーたちは「申し訳ない」ながらも「ありがとう」という反応を見せている。

リッパート大使の第一子は1月19日にソウルで産まれた。健康な男の子だった。リッパート大使は四柱推命により韓国語での息子の名前を「セジュン」とした。 「セジュンアッパ(セジュンのお父さん)」リッパート大使は5日、従北主義者からの攻撃を受け、80針を縫う150分間の縫合手術を受けて入院している。セジュンが生を受けたセブランス病院でだ。彼はいつも愛犬の「グリックスビー」と徳寿宮の石垣道で散歩を楽しみながら市民と隔てなく親しくする、柔和な夫で、父親だった。しかし、危機に対しては柔弱でなかった。顔に11センチの切り傷を、左腕には貫通傷を負ったが、勇気を持って対処した。襲撃された直後に再び立ち上がって見せた強靭な目つきからは不当な「暴力」に屈しないという真の「英雄」の姿を見つけることができた。

国立外交院の尹徳敏(ユン・ドンミン)院長は、「どのような困難にも挫折することなく堅固に守ってきた韓米同盟の価値をリッパート大使が今回、韓国と米国の国民に見せてくれた」と評価した。リッパート大使は病床からツイッターを介して自分の安否と感謝の気持ちを伝え、ハングルで「一緒に行きましょう!」と書いた。 「一緒に行きましょう(Go Together)」は、在韓米軍のスローガンで、韓米同盟の象徴句だ。リッパート大使が素早く「韓米同盟が毀損されるかもしれない」という懸念を一蹴したのだ。

これを見た多くの市民とインターネットユーザーたちは彼の勇気ある行動にもう一度驚いたという反応だ。あるツイッターユーザーは、「大韓民国の国民は、あなたが本当に好きです」とリッパート大使を励ました。また、他のユーザーは、「東洋の古語に’災い転じて福となす’という言葉があります。今の試練が大使の未来において大きな力になると信じています」と快癒を祈った。リッパート大使のブログにも応援のコメントが溢れていた。あるインターネットユーザーは、「大韓民国の国民の一人として、大使に申し訳ない気持ちです。そして、ありがとうございます」という文を載せた。

一部では、バラク・オバマ大統領が慰安婦問題をめぐり使った表現を借りて、今回の暴力事件も「実に恐ろしくひどい(terrible and egregious)」犯罪だという反応も出てきた。また、韓米関係に亀裂が生じることを望まない米国政府の対民間の公共外交(Public Diplomacy)ポリシーをリッパート大使が殺身成仁の姿勢で示しているという評価も出ている。

襲撃を受けた日も、彼は演説を準備しながら「第二子も韓国で出産したい」という話をしていた。

その後、彼が座っていたテーブルが血で赤く染まった。「セジュンアッパ」が流した血は堅固な韓米血盟を示す新たなシンボルとなっている。誤った従北主義者の許されない暴力に堂々と対抗した、リッパート大使の英雄的な行動に韓国人たちは感動している。
  • 毎日経済_キム・ギジョン記者 / キム・シギュン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-03-06 16:14:57




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