Q.韓国ではなぜ「無償給食」が話題になっているのですか?(上)

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A.
給食という言葉を聞くと、中学時代の記憶がよみがえります。すぐ前の席に座っていた、にきびだらけのぽっちゃり顔もぼんやりと見えます。

その子のお弁当のおかずは、ほかの子たちとは次元が違いました。見方を変えれば、材料は似ていたのかもしれません。しかし、同じ卵でも、私のお弁当にはせいぜい卵焼きがご飯の上に広々と乗っかっているだけでしたが、その子は、いろいろな材料の入った玉子焼きが入っていて、海苔もただの焼き海苔とは別に、おいしく和えたものが入っていました。一言で、金持ちの匂いが充満するお弁当でした。

お昼の時間になると、その子のお弁当を見ながらよだれを垂らしたものです。一緒に食べようとその子が振り返って座り、お弁当の蓋を開けると、自然に口元に笑みが浮かんだものです。ところが、ある日、その子が何故か振り返って座らず、1人で食べ始めたのです。本当に、お昼の間、どれだけイライラしたことでしょうか、腹を立てる理由は一つもなかったのに。

学校の食堂で食べる給食になってからは、このようなハプニングはないようです。昔の記憶を少し思い出して回想に浸る、甘い瞬間もないことでしょう。

ところがです、学生時代を回想させようとしているのか、政界では給食問題をめぐり、絶えず争います。展開されている局面を見ると、まず、用語の選択から違います。

ある側は、「義務給食」という表現を使い、他の一方では「無償給食」に固執しています。用語が自分たちの政治哲学を反映するため、固執しているのです。用語についてよく考えてみるだけでも、双方で主張している意見を簡単に理解することができます。

まず、義務給食という用語には、国が学生に教育を受けさせることが義務であるように、ご飯を与えることも義務だという主張が込められています。供給は、教育の延長線にあるというのが、論旨の鍵となります。だから、学生の家が裕福であろうが、三食を食べるのがやっとの貧しい家庭であろうが、学校でご飯を与えるのは当然であるとう論理が成立します。

これに反対する人々は、義務教育で授業料をほぼ免除されてはいるものの、学生が食べるものまで教育の延長線上として見るには無理があると考えています。親の負担を軽減するため給食を実施してはいるものの、お金がなく給食費を出せない貧しい学生にのみ、選択的に給食費を支援するだけで十分だと説明します。

理解を助けるために両側の主張をもう少し聞いて見ましょう。まず、無償給食の全面実施、義務供給を主張する側の意見です。

・全国民の所得水準が正しく把握されていない限り、無償給食の対象者を選別するには限界がある。
・西ヨーロッパは教育費も無償であり、学生の居住費用までサポートする。
・給食は、全国民が享受すべき普遍的福祉だ。現在、給食費の支援を受けている貧困層の子供よりも、サポートされない次上位階層の苦痛がさらに大きい。2009年に給食費を未納したり、延滞した学生は17万人を超える。
・無償給食に使うお金を学校施設の改善など、より急ぎの案件に使用するべきだという主張もあるが、これまで教育予算を増やしてもらえなかった部分を、無償給食を口実に突然急ぎであると強弁する、政治的工作に過ぎない。

次は、給食費の選別的支援が正しいと見る側の意見です。

・給食費の支援を受ける学生が恥ずかし思いをしないように身元を公開せずに、給食費の支払いが困難な学生を対象に支援対象を拡大すれば十分だ。
・他の事業に使うお金を福祉に注ぎ込むのは無理だ。無償給食を採用すると、毎年膨大な予算がいる。国民の血税を中産層以上まで恩恵を受けられるように、福祉に使うことはできない。経済力に合わないポピュリズム性の政策を採択すると国が滅びる。
・無償給食を100%達成した国は、スウェーデンとフィンランドだけだ。韓国は無償給食の割合が12.2%で、米国の52.2%より低いが、英国(11.6%)や日本(1.7%)よりも高い。スウェーデンの国民所得は1人当たり5万8千ドルで、韓国よりもはるかに高く、学生数も少ない。このような国をモデルとするのは無理だ。導入速度を調節して、徐々に応じて行けば良い。
・教育予算をすぐに拡充するのが大変なだけに、無償給食にお金が投入されると、他の部分での教育の質が低下する可能性がある。

次回は、実際に無償給食を推進した地域を見てみることにしましょう。
  • Lim, Chul/写真=MBN
  • 入力 2015-04-06 11:00:00

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