Q.出生届を遅れてすることもありますか?(上)

답변게시판
A. 学生時代を思い出しますね。身体が少し大きい友人がいたんですけど、見た目も同年代の子よりは大人っぽかったです。友達と遊びながらも使う話し方や行動も、自分がまるで上の人のように振る舞うんですよ。当時は、たまに学校に遅れて入学する子どももいましたから、当然私達より年齢がはるかに高いだろうなあと思っていたんです。

ところが、偶然に分かったのですが、誕生日が私たちとほぼ同じなんです。何月何日まで計算してみると、むしろ私よりも若いなんて、当然睨み付けましたよね。これまで私たちを騙したのだなって思ったりもして。

「私の母が出生届を忘れてて、3年遅れてしたからそうなんだ」

このような返事を信じなければならないでしょうか? 当然信じたでしょう。当時は、出生届を遅れてする子どもたちが、しばしばいたんですよ。親たちが子どもが生まれたことを忘れたり、いやこれを忘れることはないから、出生届をする考えがなかったり、または明日しなきゃと今日明日に先送りして遅れ、罰金を支払わなければならないかもという考えにビクビク震えたりもしたでしょう。たまに通りすがりの僧侶が、この子は運勢が悪いから、出生届を遅らせる方が良いという一言を投げたかもしれず、名前をつけようと四柱・運勢を見て不慮の災難があるから、子どもを産むことを周りの人に知らせるなという忠告を受けたかもしれないですよね。

可愛い名前を持つ子どもは短命だと考え、ケトンイ(犬の糞)、チルプンイ(少し脳が足りなくて冷やかす呼び方)などの奇異な名前もつけて、結構大きくなる時まで、女装男子または男装女子として育てたりもしたから、出生届が少し遅れることくらいが何か大事なことでしょうか。

そのため友人の返事を信じたでしょう。その後、学校を卒業するまで最初っから兄さんと呼び続けたのですが、今になってみると、少し悔しい思いもしますね。

出生届をする時、提出する出生証明書も1980年以降に導入された制度なので、それ以前には住民登録上の誕生日と実際の誕生日はが異なる人が、しばしばいました。乳児死亡率が高いため、、いつ死ぬか分からない子どもの出生届をして死亡届をして、これを面倒だと思った親が、子どもが3、4歳くらいになった後に出生届をする場合もよくありました。

さらに、当時は出生届をした日を基準に住民登録番号を付与したため、出生届を遅くすると、実際の年齢と差が出ざるを得なかったでしょう。最近では、一歩遅れて申告をしても、医師が出した出生証明書さえあれば、実際の生年月日を基準に住民登録番号を取得できます(住民登録番号がなぜ重要なのかというと、韓国の住民登録番号には生年月日が入って出てくるからです)。とにかく過怠料(1万~5万ウォン)を出しさえすれば、実際の誕生日を認められるために何の問題もありません。

最近では、出生届を遅くする人があまりいないですよね。全くでたらめな迷信も減ったうえ、出生届も簡便になり簡単に行えますよね。来年からは住民センターに行かずに、ワンクリックで子どもが生まれたと申告できるため、より楽になるでしょうね。

ところが、生き方が人によって異なるため、何事も無いように出生届にも穴がぽつぽつ空いています。韓国の家族関係法の中で、最も精緻に作っても多様な人生を盛り込むのは難しいからでしょう。

出生届をするのに最も困難を経験する人は、未婚父です。別れた彼女が突然訪ねてきて、「お前の子どもだ」と押し付けて行き、取り残されてしまった男性たちの話ですよね。ニコニコと笑う赤ちゃんを見ては、「しっかりと育てなければ」と決意しても、母親の本当の名前も住民登録番号もわからなければ、出生届をすることが漠然とするでしょう。

出生届をできないなら、保育費支援、医療保険の特典を受けられないですよね。住民登録上としては存在していない赤ちゃんになってしまうでしょう。2011年以前には、このような赤ちゃんも生父が申告をすれば、出生事実を認め、住民登録番号を出してくれました。ところが、母親がわからない場合は、出生届を受けられないように大法院(最高裁)が制度を変えながら事が複雑になりました。

未婚父が出生届をするためには、訴訟準備を終えた後、まず、赤ちゃんの後見人として選任される裁判、姓本創設の裁判、家族関係登録簿の創設の裁判などの複雑な手続きを経た後、父親に認められて出生届ができました。このような厳しい手続きを避けるために、子どもを孤児院に送り、数日育てた後、養子縁組を受ける方式で出生届をする近道が動員されました。

サランの父親は自身の子どもを孤児院に送れないとし、江南駅の前で子どもをベビーカーに乗せて1人デモを行いました。(ここでのサランは『スーパーマンが帰ってきた』に出てくるサランでもなく、サランの父親もチュ・ソンフンではありません)

  • < 赤ちゃんを保育園に預けられず仕事を失ったサランの父親は、訴訟費用と粉ミルク代でも得るために、1人デモに乗り出した。15個の遺伝子検査が一致した自身の子どもを連れて働く職場はほとんどないため、デモは彼の赤ちゃんのための最後の選択だった >

幸いなことに、デモが効果も見せ放送の電波にも乗りながら、サランの父親は当局の支援を受けて出生届をできるようになったでしょう。

その後、新政治民主連合のソ・ヨンギョ議員の代表発議で、未婚父の出生届を少し簡単できる道が開かれました。当初作られた法案は、「親子が正しい」という遺伝子検査の結果さえあれば、出生届を可能にするように規定したが、法制定の過程で法務部と大法院の反対で、家庭法院(家庭裁判所)で「親生子出生届のための確認」という手続きが添付されました。

サランの父親のほかに、出生届をめぐるもう1つの話は次回に聞かせてさしあげましょう。

※この記事は「出生届を遅れてすることもありますか?(下)」に続きます。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-10-12 00:00:00

Copyright O2CNI All rights reserved.

目錄


      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア