トップ > コラム > オピニオン > [世智園] 寸志

[世智園] 寸志


  • [世智園] 寸志
10年ほど前、最初の子供が小学校に入学した後、担任の先生に会いに行くときに「寸志」についてしばらく迷った。「あげなければ、子供が大変な目に会う」「散漫な子供であればあるほど、寸志は必須」という先輩ママたちのアドバイスに耳をそばだてた。しかし、所信なく揺れてはいけないと考え、小さなケーキだけを持って行ったが、子供がもし理由もなく怒られたらどうしようかと心配したりもした。冗談の上手な私の友人は「先生は封筒を見つけるために、ケーキボックスを隅々まで探しただろう」とからかったりもした。今、小学生の2番目の子供の学校は、校長先生の名義で寸志根絶の案内文をよく送ってくるため、学校に行くとき心が軽い。

寸志は心の中に抱いた小さな気遣いや感謝の気持ちを込めた小さな贈り物のことを意味する。しかし、いつからか「子供をよろしくお願いする」という意味で教師に与える賄賂へと意味が変質した。数十万ウォンから数百万ウォンに達するというが、もはや「小さな気持ち」と見るのは難しい。

寸志の歴史は、紀元前2000年のバビロニアにさかのぼる。粘土板に刻まれた文によると、「筆記が汚い」という理由で罰を受けた学生が先生を家に招待する。当時高位職だった父は、上席に先生を座らせた後、酒と食事をもてなして手に貴重なリングをはめてあげた。そうすると先生は、態度が変わって学生が優れた指導者になると賞賛したという内容だ。

親が先生の機嫌を取るのは、4000年前も今も同じようだ。誰かが高価なワインをプレゼントすると、それが食物連鎖に従って巡り巡って、最終的には子供の先生や家庭教師の先生の手に入るという笑い話があるほどだ。現金入りの封筒に目めがない教師の改過遷善(過ちを改めること)を描いた映画『先生 キム・ボンドゥ』のように露骨に要求する教師も少なくない。寸志の授受方法もケーキボックスの底に敷いたり本に挟む伝統的な方式から携帯電話のギフティコンなどに進化している。

寸志が社会的問題となり、「先生の日(ススンエナル)」に休校する学校が増えてきたのは胸の痛むことだ。寸志の授受が消えないのは、自分の子供だけを考える利己心と教師の倫理意識の不足のためだ。ソウル市教育庁は、寸志慣行を根絶するために、教育現場の不条理を申告した公務員や市民に、授受金額の10倍以内、最高1億ウォンの補償金を支給する「公益申告補償金制」を運営することにした。良心的な教師が潜在的犯罪者として扱われるのは残念だが、これを機会に寸志教師を完全に退出しなければならない。ただ、補償金を狙った「寸志パラッチ」が校内をうろついて、過剰監視に乗り出すのではないか心配だ。
  • 毎日経済_シム・ユンフイ論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-03-16 17:20:42




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア