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[コラム] 国民の自信回復のカギは「経済」だ


  • [コラム] 国民の自信回復のカギは「経済」だ
貧しい時代から韓国人には特有の「自信」があった。歴史的に見ても簡単ではない気質だ。数千年間、数十倍も大きい中国の侵略もやすやすと勝ち抜いた。日本との戦争も国民が一丸となって耐えた。日本に対しては「私たちが精神的には一枚うわて」という傲慢さまで持っている。全世界で日本を無視する唯一の国が韓国という笑い話が出てくるのだから、よっぽどのことだろう。

とにかく、韓国人の「自信」は、殺伐とした国際競争で生存する原動力だった。あえて外国の評価を取り上げていなくても、50年に満たない短い期間に産業化と民主化を同時に達成した土台だった。

しかし、ある瞬間から、韓国人は自信を失いつつある。圧縮成長に伴う後遺症であるのかもしれないが、正しい政治とリーダーの不在が国民を萎縮させているという考えだ。特にセウォル号と中東呼吸器症候群(MERS / マーズ)を経験しながら、その程度が深刻な水準に変わって行っている。このような状況で、果たして韓国は、新たに再跳躍することができるのか疑問にさえ思う。もちろん強大国だからといって、そのような過程を省いたわけではない。米国の「失われた70年代」がそうだ。

第1・2次世界大戦を経て、世界の最強国として登場したアメリカの自信を表現する2つの象徴語がある。「アメリカン・ドリーム(American Dream)」と「パックス・アメリカーナ(Pax Americana)」がそれだ。全世界から集まった移民がそれぞれの夢を広げ、そうして作られた米国の精神が絶え間なく世界へ伸びている、という意味だろう。そのような米国が1960年代のベトナム戦争をきっかけに深刻な分裂を経る。戦争に反対する世論が沸き立ち、戦争遂行の道徳性に対する葛藤も露出した。

「失われた70年代」の始まりは、ベトナム戦争の敗北から始まっている。米国と米国人にとって、まさに衝撃的な出来事だった。続くウォーターゲートスキャンダルで、米国史上初めて現職大統領が大統領職から辞任するという悲劇が続く。米国民の自尊心が大きく傷つけられ、1976年の大統領選挙で無名のジミー・カーターを選択するきっかけとなった。

道徳性の再武装と原則主義を旗印に発足したカーター政権だったが、理想と現実の乖離の中で、もう一度米国民の自尊心に損傷を与える。ワシントンの政治を軽蔑したカーターは、いわゆる「ジョージア・マフィア」の人選で、議会とは妥協せず、友好国とも事あるごとに対立した。そうするうち、1980年のイラン・米大使館人質救出作戦が失敗に終わって、米国民の心の中から完全に離れた。1973年のオイルショック以来、スタグフレーションが蔓延するなど、経済がまともに作動しなかったことも、政権の運命を繰り上げた。

今の韓国の状況を、1970年代の米国と比較するには多少無理な点がある。しかし、国民の自信がこれほど萎縮したのは、否認できない事実だ。

さらに、今は政権末期ではない。ちょうど折り返し点を回ろうという時点だ。こんなにも早く、レイムダックになってしまっては、国家も国民もみんな不幸になる。国民の自信回復が急務だ。そのために政府の当面の課題は、経済回復だ。

経済を回復させるからといって、過去のように強圧的に推し進められるわけでもない。できることから一つずつ推進しつつ、見せるためのショーは自制しなければならない。全国を回って創造経済のパフォーマンスをするからと経済が回復するだろうか。むしろ大統領が労働組合の代表に会って大妥協の協力を求め、大企業のオーナーに会って従業員を一人でも多く採用してほしいと訴えたほうが良いかもしれない。為替レートなど部分的に外交で解決できるものは、首脳レベルの泣訴でもしなければならない。

ついでに言うと、もう刑務所にいる財閥のオーナーを選別して解放しなければならない。国民的カタルシスのためにこれ以上ぐずぐずしていては、経済のゴールデンタイムを逃すばかりだ。今、政府に向けられた国民の怒りと恨みはこれまで以上に高い。国民が耐えられる「忍耐のゴールデンタイム」を逃したカーター政権の愚を犯してはならない。
  • 毎日経済_チョン・ビョンジュン論説室長 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-06-17 17:31:32




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