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[モノの哲学] スプーン、責任を含んだ計量


  • [モノの哲学] スプーン、責任を含んだ計量
韓国においしい「クッパン(料理番組)」時代が到来した。プロのシェフが料理バトルをして、レシピ を「ディス」する。「厨房長」という言葉よりも 「シェフ(chef)」という外国語がより身近になった。「シェフ」という言葉は、芸能人と似たような語感を持つ単語になった。きらびやかな「包丁さばき」だけでも、芸能が可能であることを証明したあるシェフは、女性グループのミュージックビデオに出現した。

断然、注目されているシェフは「ペク主夫(ペク・ジョンウォン)」だ。ペク主夫のレシピの特色は「簡単でしょ~」という彼の言葉に要約される。そのレシピの核心は、裏をかくことだ。なにか特別な材料を入れて、複雑な手順を経たように見えるが、レシピと言うべきものが無いほど簡単だ。お金がない自炊組も美味しい1人前の食卓を作れますよ、と言っているようだ。最近会った先輩の詩人からそのレシピで料理を作って見たという話を聞いた。「味はどうですか」と私は好奇心いっぱいの目で尋ねた。「味はとても正確!」

正確な味!ふと彼が最も「愛情を注ぐ」モノが何であるかが気になって、彼の台所のモノを観察してみた。包丁だろうか。お皿だろうか。まな板だろうか。

それは「スプーン」だった。興味深いのは、このモノが料理について少しは知っているといういうシェフと食通たちの共通のモノだという事実だ。スプーン。ご飯をたくさん口に入れて食べるという意味だろうか。そうではない。かれらにとってスプーンは食べるためのツールではなく、「計量」のためのモノだ。オリーブオイルや醤油や砂糖など、各種調味料の量を正確に測定するために、彼らはスプーンを「無心」に愛用する。「砂糖大さじ1」「醤油大さじ1」のときの「さじ」は本来、「スプーン」という意味だ。

計量ツールとしてのスプーンの特徴は、目盛りがないということだ。「醤油大きじ1」で、美味しさを正確に出すにはスプーンからあふれても、足りなくてもいけない、水位を正確に維持する手技が必要だ。手技が身につくと、スプーンがなくても、正確な水位を「感」で知ることができる。

コミュニティ全体において、あちこちで批判と非難がいっぱいの時代だ。誰にでもそれぞれのレシピがあり、食事を噛みしめるように、他人を「噛む」自由が開けている大衆社会だ。しかし、誰もが料理家になれるが、食材を「生かす」味は誰もが持つことはできない。正確な味は水位を探る正確なスプーン計量から出てくる。批判は水位を超えると美味しくない非難になる。生かせなかった味の責任は「腐った食材」にだけあるのではない。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-07-03 16:13:34




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