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[モノの哲学] ドローン、全知的な視点のメディア


  • [モノの哲学] ドローン、全知的な視点のメディア
文学評論家である私が「小説創作論」の授業を引き受けることになると、学生に必ず出す課題が「視点の置換」だ。中・高等学校の国語の授業時間に学んだ「1人称の主人公の視点」であるとか、「3人称の観測者の視点」だとか、「全知的な作家の視点」だとかいう、その「視点」だ。「視点」は「視野が開かれる地点(point of view)」だが、結局、視線の主体が立っている地点と同じだとして「立っている地点(standing point)」とも呼ばれる。「1人称の視点」は「私」を中心に私が立っている地点から見た私の視野であるだろうし、「3人称の視点」なら「彼」が立っている地点で開かれる彼の視野だろう。

小説創作論の授業で行う視点の変更は、私中心の視野から彼を中心とした視野へと、彼が立っている場所からの展望から私の位置の展望に変えてみる作業だ。興味深いのは、このように視点を変えてみると、同じ小説も​​全く違う小説になるという事実だ。ある現場でも、私が見た風景を、彼は全く見ることができず、彼が見たものと私が見たものが異なることがある。

しかし、数年後にこの授業をするときには、その頃には本格的に商用化されているだろう、この「モノ」を利用して課題を提出しようと思う。「1人称の主人公」も見ることができず、「3人称の彼」も見ることのできない視点を確保する方法、文字通り「全知的な視点」を確保する方法が生まれたからだ。「私」や「彼」も「一つの目」として地上の一点に立つしかないため、視野の角度と限界は明確だ。

「ドローン(Drone)」は、人間の視野の角度と限界範囲を飛躍的に広げることにより、「メディア」を「人間の体の拡張」と定義したマーシャル・マクルーハンの規定に正確に合致するものだ。小さな無人飛行機に付いたカメラは、簡単な個人操作でリアルタイムの動画を提供することで「視点」の意味を「立っている地点」から「飛んでいる点(flying point)」に変える。軍事用に開発されたものの、現在では想像できないほど多様なところで活用され、スマートフォンのように日常品になることが確実なこの真の21世紀のモノの本質は、あらゆるところに到達することにより、すべてを見るという「全知的な視点」の確保にある。

「ドローン」という名前は、ハチがぶんぶんと飛ぶ音から取ってきた。ハチは花の間を飛び回るが、ドローンは海と砂漠の真ん中を横切って、都市の摩天楼の頂上と家の中に音もなく入ることができる。このモノが21世紀の日常で運ぶものが何であるかは分からないが、おそらくドローンの祝福も呪いも「すべて見ることができる」という事実から由来することに間違いはないだろう。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-08-28 16:09:02




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