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[I ♥ 建築] トルジック、超ストレートな建築


  • [I ♥ 建築] トルジック、超ストレートな建築
先日、中国にいるフェイスブック友達が「ピアノビル」という住宅の写真を掲載した。その住宅はその名の通り黒いグランドピアノの形になった2階建ての家に透明なチェロ模様で作られた温室が付けられている家だった。最初にその家を見たときには本当に困惑した。とても直接的な表現であるためだ。家の主人がピアノをとても愛しているか、ピアニストなのかもしれない。しかし、だからといって家をピアノの形に建てねばならなかったのか?

建築では直接的な表現を高く評価しない。良く言えば概念がはっきりとしているとも言えるが、自分がピアノを好きだからとピアノの形に家を建てるとか、公衆トイレだと便器の形に建物を建てることはとても直接的な表現だ。直接的な表現が良く見えない理由は、その表現を好む人がとても制限されるためだ。

例えば、私がある女性を見るや「愛しています」と言ったと仮定しよう。その言葉を聞いた人が私に関心があったり、私を好きな人であれば「あ、この人迫力があるな」と心の内で喜ぶだろう。しかしほとんどの女性は「この人何?頭おかしいんじゃない?」と感じるだろう。トルジックのような直接話法はこのような結果を生む。好きなごく少数の人には共感を受けるが、ほとんどの人には負担もしくは不快感を誘発させる。同じく建築でも直接的な表現は少数の人には共感を得るが、不特定多数の人には不便な表現だ。もちろん数万坪の土地の真ん中に置かれた住宅で自分だけが見ることができ、自分だけが使用するのであれば問題はないだろう。しかし、多数の人が使用する建築であればそのような直接話法は問題がある。それは無言の暴力であるからだ。愛の告白の場合で言えば「セクハラ論」となる可能性があるように、直接話法の建築は大衆にはハラスメントとなる可能性がある。

多くの人々に共感される象徴性を持った建築を作ることはとても難しい。おおむね概観上の姿で象徴性を持つ場合は直接話法となりやすい。成熟した人は愛を犠牲、配慮、理解といった方式で表現する。成熟した建築家は空間、パターン、構造などで象徴性を迂回的に表現する。
  • 毎日経済_ユ・ヒョンジュン弘益大建築学部教授 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-10-01 17:11:14




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