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[コラム] 開天節(韓国の建国記念日)の由来:本当に10月3日に国を建てたのか


2009年10月のカレンダーを見ると面白い。日、月、火、水は空白で、木曜日の1日は国軍の日、金曜日の2日は老人の日、週末の3日は秋夕(チュソク)。老人の日は別にしても、よりによって秋夕と開天節、そこに週末が重なるだなんて。

休日を心待ちにしていた会社員の胸には釘が打ち込まれ、秋夕の帰省客が集まる高速道路は駐車場を彷彿させ、開天節(建国の日)であるこの日、危うく天が開かれるのではなく、地獄の門が開かれるところだった。

天が開かれた日、開天節は、韓民族の最初の王である檀君が治世を始めた日だ。檀君は百日間、ヨモギとニンニクだけを食べて女性に変身した熊女が天帝の庶子である桓雄との間に産んだ子だ。

ニンニクはがんの予防効果も抜群で、長期間服用すれば70歳でも精力が若者に劣らなくなるというが、熊女の神話を見ると、体に本当に良い食べ物のようだ。

檀君がこの日に治世を開始したという記録は大倧教の聖典の『三一神誥』に記載されている。この本に「ハンベ様(檀君)が甲子年の10月3日に太白山に降臨して125年間の教化時代を送り、戊辰年(BC2333年)10月3日から治化を開始した」と書かれている。

教えても愚かな人々は理解できず、理解しても従わなかったため、直接統治することを決心したようだ。

大倧教でこの日を記念し始める前、朝鮮後期には、一部の地方で10月3日に檀君に祭祀(慰霊の儀式)を捧げる風習があったが、具体的に檀君と関連づけて考えられてはいなかった。これを根拠に一部のキリスト教信者は開天節が大倧教から始まっただけに、この日を祝日から除外しなければならないという極端な主張も行っている。

大倧教の勢いがあまりにも弱く、信者数が韓国でイスラム教を信じる信者よりも少ない4000人余りに過ぎないため、こんな仕打ちも受けるようだ。

大倧教で記念日とした日は、本来、旧暦の10月3日だった。ところが大韓民国政府が樹立した翌年の1949年に祝日を定めながら、開天節を新暦の10月3日に変えてしまった。祝日を定める官吏が旧暦の10月3日を新暦に換算する案をめぐり、脳を絞って計算しても換算するのは難しいという結論となり、10月3日という日付が重要である点を勘案して下した措置だった。

ソルラル(旧正月)と秋夕(チュソク)は旧暦なのだから、旧暦の10月3日にしたらよかったのに。そうすれば、祝日が1日もない11月にも祝日が登場しただろうに。といった残念さを残した措置だった。

ただし、1950年頃には、西洋で教育を受けてきた学者や官吏が旧暦を非科学的だと蔑視する習性もあったため、旧暦の開天節だなんて、考えることもできないことだっただろう。そのころは、ソルラルも秋夕も祝日ですらなかったのだから。

大倧教では新暦の10月3日を開天節に定めた国の政策は尊重するが、旧暦の10月3も意味深い日として記念しているという。韓国政府では初代李承晩(イ・スマン)大統領の時から開天節の記念行事に出席して記念辞を朗読してきていたが、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の時代から首相が出席する方向へと格が少し低くなった。もちろん開天節特赦などの話も出てこない。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-10-03 08:00:00




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