トップ > コラム > オピニオン > [コラム] 国定教科書と女性スパイ

[コラム] 国定教科書と女性スパイ


  • [コラム] 国定教科書と女性スパイ
アメリカの歴史には非常に偉大な女性スパイがいる。南北戦争当時、活動していた「ヴァン・ルー」という女性だ。

戦争が終わった後、南部連邦の首都だったリッチモンドを訪れた北軍のグラント将軍は、まだ周囲が落ち着いていない中でも、彼女の家を訪れて一緒にお茶を飲んだ。

リンカーン死後、大統領になったグラントは彼女をリッチモンドの郵便局長に任命した。最近では女性が長官ではなく、大統領まで務める時代だから「郵便局長くらい」と思うかもしれないが、女性には投票権もなかった当時としては非常に破格的な人事だった。

それだけ、彼女の貢献が大きかったという意味だ。北軍は「自分たちの情報収集は、ほとんどヴァン・ルーの献身のおかげだった」という記録も残した。

裕福な家庭に生まれた「ヴァン・ルー」は、クエーカー教団が運営する学校で人種差別廃止論を学んだ。父親が死亡した後、母親を説得して家の中の奴隷9人を解放し、譲り受けた遺産で奴隷たちの親戚も買い取って解放してあげた。このような中で、南北の戦争が起きたため、奴隷制度に対抗して戦ってきた彼女としては、自然と北軍を助けなくてはと考えたことだろう。

ヴァン・ルーは私財を投じて12人程度の人員でスパイ網を構成したが、彼女が解放して学校にまで送ってあげた黒人女性の「バウザー」は、南部連合のデイヴィス大統領夫​​人のメイドとして働いていた。南部連合政府では、黒人たちは、ことごとく文盲だろうと油断していたため、掃除をしながら机の上に散在している書類を盗み見ることも簡単だったようだ。優れた記憶力を持っていたバウザーの報告は、卵商人を装った情報員を通じて北軍に渡された。

ヴァン・ルーが運営したスパイ網がどれほどすごかったのかは、彼女のスパイの一人がリッチモンドの市長に当選しそうになったという事実から推測することができる。

史上最高の女性スパイと称しても全く遜色がないくらいだ。ヴァン・ルーが、米国社会でどのように記憶されているか知っているだろうか。残念ながら、おそらくアメリカ人でさえ、彼女の名前を覚えていない人が沢山いるだろう。

イスラエルはモサドの偉大なスパイ、エリ・コーエンを記念して、テルアビブの道路に彼の名前をつけたが、ヴァン・ルーは彼女が生まれた故郷にもまとも記念碑がない。リッチモンド市の白人社会は1912年に彼女が生まれ、生涯を生きた大邸宅を撤去して、その場にベルビュー小学校を設立した。一部の歴史家たちは、これをヴァン・ルーの痕跡を消そうという措置だとして理解する。

米国連邦裁判所が教育における人種差別を撤廃した後、幸いなことに、ベルビューでアフリカ系アメリカ人が多数を占めるようになって、学生は彼女の人生を知ることになった。唯一、ベルビュー小学校でのみ、この偉大な女性スパイの生涯を学ぶという。

もし、米国全土の学校が、たった一つの国定教科書を使っていたとしたら、ベルビューでさえ「ヴァン・ルー」は忘れられていたことだろう。

彼女の死後、アフリカ系アメリカ人と彼女の助けを受けて捕虜収容所から脱出した北軍の家族が一部参加したものの、リッチモンドの白人は一人もいなかったという。ひとつの歴史教科書だけがアメリカ全土に配付されていたとしたら、彼女の墓には花一輪供える人がいないことだろう。

「歴史教科書が左翼に偏る」からと国定教科書に回帰するという刀を抜いた韓国政府により騒々しくなっている今、韓国の百科事典に1行の言及もない女性スパイについて思いをはせてみる。
  • Lim, Chul / 写真=photopark.com
  • 入力 2015-10-25 08:00:00




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア