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[世智園] 矢を持った李舜臣将軍


  • [世智園] 矢を持った李舜臣将軍
韓国の海軍士官学校に先月27日、弓で武装した忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が建てられた。左手には剣の代わりに弓を握り、背中には矢筒を担いでいる。右手には指揮棒を握って、三道水軍に号令する姿だ。弓を持った李舜臣将軍の銅像が建てられたのは、今回が初めてだ。刀は、腰にかけた姿だ。

これまで李舜臣将軍を象徴してきた代表的な銅像は、1968年ソウル光化門交差点に建てられたものだ。その後、政府は徳寿宮に世宗(セジョン)大王、市庁の前に金庾信(キム・ユシン)など、15人の歴史上の人物像をソウルの主要ポイントに立ててから今まで、元位置を守り続けている唯一の銅像だ。

韓日国交正常化から3年目の時、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は「日本の人々が最も恐れる人物の銅像を、光化門交差点に立てなさい」と指示して、当時の金世中(キム・セジュン)ソウル大学教授が設計と製作を引き受けた。丈夫な造形性・象徴性にもかかわらず、この銅像は長い間、論難に包まれた。鞘を右手で握っていて刀を抜いて使用するには、左利きでなければならない。これは、李舜臣将軍を誤って描写したものだという批判だった。ソウル市が1979年、考証上の誤りを認めて撤去決定を下したが、当時のパク元大統領の逝去に伴う不安定な政局と美術界の反発により、うやむやになった。

李舜臣将軍はその後、すべての銅像で右利きと表現されたが、手には常に刀が握られていた。武人の強さを表現するには、刀がより効果的であるためだ。しかし、歴史的事実に忠実するには、弓を握った姿がより適切だ。乱中日記にも、李舜臣将軍は常に弓道の練習に邁進したと表れる。部下たちにも「敵の頭を斬るよりも、矢で射殺することのほうが重要だ」と教えた。敵と距離を置いて戦う海上戦闘の特性上、弓がより重要であるという事実を直視した選択だ。

今回建てられた李舜臣将軍の銅像は、台座を合わせた全体の高さが11.11メートルだ。海軍の創設記念日である11月11日を象徴したという説明だ。日本の歴史歪曲と右傾化、軍国主義の性向がますます露骨化している。あらゆる想像力を付け加え、映画・ドラマの中に登場した李舜臣将軍より、歴史的事実に合致する姿で海軍士官学校に登場した李舜臣将軍の姿が、より一層意味深く近寄る。
  • 毎日経済 チェ・ギョンソン論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-11-30 17:43:53




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