トップ > コラム > オピニオン > [コラム] 初雪を見ながら

[コラム] 初雪を見ながら


ある小学生が書いたこんな詩がある。詩を書いてこいという学校の宿題のために10分で書いた詩だという説明がついている。

タイトルは「初雪」だが、まずは全文を紹介する。

初雪が降る。

一番最初に落ちて来る雪は
生まれた時から一番下にいた雪
一番下にいた雪は降った後も一番下
雪になれずに地面に落ちて溶けてしまう

中間に落ちて来る雪は
生まれた時から中間にいた雪
中間にいた雪は降った後も中間
下の雪が凍らせた地面に一生懸命積もる

一番上に積もる雪は
生まれたときから一番上にいた雪
下の雪が仕込んでおいた柔らかい地面の上に傷もなく降り積もる

人はみんな一番上にある雪を見て美しいという
何の努力もせずに一番上に生まれただけなのに
自分たちがすべてであるかのように美しいと贅沢な姿を誇る

最初の日に降った本物の初雪は
今ごろ下水道に流れ込む悔しさに泣き叫んでいても誰も聞かない

私は雪が嫌いだ

韓国社会の構造的な問題が小学校6年生の子どもの目に入り込んだようだ。こんな風に見ると、美しく降る初雪にも層を成す階級社会が透けて見えるようだ。たぶん、子どもが着てくる服で、とうに階級社会を感じていたのかもしれない。

この程度の問題意識を持っているなら、おそらくこの学生は、最近巷で騒がれている子息階級論(子どもの出来不出来を金銀銅土の階級に分けて分類すること)で分類しても、少なくとも土の子どもに属しはしないはずだ。金の子どもにはなれなくても、銀の子どもの隊列には無難に合流することだろう。

しかし、彼は金の子ども、銀の子ども、土の子どもとしてクラスを分けるのを好むだろうか。スプーン階級論(生まれた環境を金銀銅土のスプーンに分けて分類すること)の視線を持つ彼が、子息階級論的に自分の価値を認めてくれたと喜ぶだろうか。

そうではないだろう。家で飼っている犬と一緒に何も考えずに、雪の降る野原で走り回らなくてはいけない子どもが「雪が嫌い」と絶叫しているのに、子息階級論は不似合いだ。

子息階級論が登場したとき、スプーン階級論に対抗する40代と50代の反撃だと褒め立てた保守言論の視角が怖い。個人の能力に応じて生きなければならないという判断、努力をすれば誰でも成功できるという社会の診断が通じないから、スプーン階級論が出てきたという基本を見失い、韓国社会の葛藤を助長するようなタイトルを選ぶのなら、メディアは自らの使命を捨てたも同然だ。

「豊かな人は豊かに暮らし、貧しい人は貧しく暮らす」という、昔の歌謡の歌詞が思い浮かぶ。

貧しい人が、貧しく暮らしながら幸せであってこそ、豊かな人も豊かに暮らしながら楽しむことができる。それが正しい人生だ。

下に積もった雪があるからこそ、上の雪は華やかな結晶を誇ることができる。下の雪がすべて溶けてしまえば上にあった雪も頼るところがなくなる。

小学生が「雪が嫌い」と言わずに、雪だるまを作って楽しく遊ぶ社会、そんな社会が恋しい。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-12-06 08:00:00




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア