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[コラム] 勉強より食習慣が優先です


  • [コラム] 勉強より食習慣が優先です
国語、数学、社会、科学、英語…。小学校時代から多くの科目を学ぶ子どもを見ながら、文字も読めずに学校に入ることが一般的だった昔の時代を考えてみます。

今の子どもたちを見ると、小学校に入学する頃からハングルは言うまでもなく、英語までの基本的な会話は話して書ける時代になったため、母親たちの教育熱はますます増していくようです。

しかし、それに反して、日常生活の自発性はより控えめになったとでもいいましょうか? 自身の持ち物の整理、持ち物の準備から目上の人に対する礼儀、口癖と食事習慣まで…。その年齢に合った生活教育をするために孤軍奮闘する親たちを見るのは難しいことです。

私たちの幸せを左右する鍵が何でしょうか? 勉強ができれば幸せになるのですか?

40年近く、多くの受講生を小グループで指導し、人々の人生を直接または間接経験するようになった私として、「決してそれはない」と断言できます。

多くの知識は、私たちの生活を営むために便利なツールになることがあります。しかし、目的になることはできません。

幸せな生活を営むには、正しい価値観と正しい生活習慣だけが私たちを実質的に幸福につなげてくれます。健康管理、自己管理、時間管理、金銭管理など、実質的な生活の知恵と訓練が幸せな生活を大部分左右する時がたくさんあります。

このような生活訓練の中で、食べることは私たちの生活の非常に多くの部分を占めています。何をどのように食べるのかが、その人を表します。食べることは、私たちの健康だけでなく、靭性と気質にも多くの影響を与えているという事実は、私たちにとって今や新しいニュースではありません。

そのように重要な割合を占めるにもかかわらず、多くの人が正しい食習慣を持つことに、大切さを逃して生きています。料理をする時間がないといいます。食べることに長い時間を費やすことができないといいます。一緒に集まって食べることは、優先順位から押し出されるでしょう。買い物に行く時間が惜しく買って食べたり、買い物する費用の効率が外食に比べて劣るといいます。まるでしっかりしているかのように話しますが、私が聞くには、世の中にこんな馬鹿なことがありません。健康であってこそ、学んだことを活用でき、夢を広げて、人も助けることができます。また、料理を作るやりがいと楽しさは、神が人間だけに許した特権でもあります。

そのためには、何をどのように食べて生きるべきかを学ばなければなりません。肩越しだけで学ぶことに、韓国の食文化、温かい家庭食の経験があまりにも欠けている実情であるため、各家庭ごとの努力と共に学校でも教育を緩めてはいけません。

先進国ではこのような食文化関連の教育が、幼稚園から小学校に至るまでどれほど重要視されているのか、さまざまな教育放送を通じて接しました。フィンランドをはじめとする欧州と米国では、幼稚園から菜園を直接耕し、収穫されたもので料理を作って摂取するまでのすべての過程を経験しながら、学んでいくのを見ることができます。

料理を作ること、買って食べても何を選択すべきなのかと、食べ物をどのように摂取するかを学んでこそ分かり、学んでこそできることです。食材への理解と栄養、材料の下準備と合理的な調理方法および摂取方法は、学ばなくてはしていた習慣通りにせざるを得ないためです。

家族暦による病歴も食生活と密接な関係があるため、私たちが言う遺伝病というものは、家庭内の家族の食習慣と多くの関連があるということは、よくよく分かっている内容です。

教えなければなりません。学ばなければなりません。最初から「健康と食べ物」という科目で据え、食べ物と食生活についての理解が正しく定着させなければなりません。その道だけが暖かい家庭食を回復し、家庭ごとにぐつぐつ、ふつふつと幸せがふき溢れる音が聞こえるようになるでしょう。

ある日の新聞に、「幸せな食生活、初等科目に指定」というタイトルの記事が上がることを想像しながら願ってみます。

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  • 毎日経済 シム・ヨンスン料理研究院院長 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-02-18 10:02:21




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