A. | 「実尾島(シルミド)にはなぜ行ったのですか? そこで一体何をしましたか?」 彼らの答えは意外でした。 「秘密事項ですので申し上げられません」 自分たちの悔しさを晴らす機会を自ら逃してしまったわけです。 彼らが沈黙を選んだ理由は、国会の真相調査を控え軍の関係者が説得したためです。 「このままだと、どうせお前たちは死刑になる。一緒にベトナムへ行こう。その代わり誰に聞かれても保安上、絶対に言えないと言え。そうしてこそ生きられる」 しかし国は最初から約束を守るつもりがありませんでした。彼らは翌年の1972年1月、軍事法廷で死刑判決を受け70日後に梧柳洞(オリュドン)空軍部隊で銃殺されました。形式的な葬儀の手続きも踏まずに遺体が埋葬されました。 実尾島の訓練兵たちの反乱に驚いた中央情報部と各軍は仙甲島(ソンガプト)部隊、長峰島(チャンボンド)部隊、摩尼山(マニサン)カササギ部隊を迅速に解体させました。そして報道統制の中で事件はすぐに忘れられました。 1.21事態で冷却した南北関係は中央情報部のイ・フラク(李厚洛)部長の訪朝や、7.4南北共同声明で韓国戦争終戦後、最も温かい和解ムードが築かれました。 振り返ってみると本当にこれら特殊部隊員を北朝鮮に送るつもりだったのかも疑問です。朴正熙(パク・チョンヒ)の怒りを鎮めるために各軍が忠誠競争をしたという、つまり北朝鮮に送ろうとしたのではなく「見せつけ」ということでした。送りたくても米国が許さない限り送る立場にもならずベトナムで苦戦する米軍が別の戦線を作るわけにもいかなかったため、「見せつけ」という説がかなり説得力があります。 「閣下、今われわれは猛練習をしています」 多くの疑問のうち、いまだに解決されていないのは訓練兵31人に関する内容です。果たして彼らは誰なのか?となります。 実尾島事件当時、韓国では訓練兵たちが死刑囚か無期囚だと思っていました。実尾島で彼らと共に苦楽を共にした基幹兵たちの中でもそのように言った人がかなりいます。だから彼らも知らなかったのです。 彼らに「おいしい物を食べさせて金を稼がせてやる、作戦が終われば将校に任官させてあげる」と誘ってあの世を歩かせたのです。 当時、募集を担当した空軍情報部隊員は「31人の訓練兵のうち犯罪者は1人もいなかった」と証言しました。 *実際に犯罪者出身を集めて作った部隊は実尾島部隊ではなく陸軍所属の仙甲島部隊だという証言があります。 映画『シルミド』が1000万人の観客を集めて興行すると過去史真相究明委員会が活動を開始し実尾島の工作員のうち20体の遺体を確認しました。発掘された遺体は碧蹄(ピョクチェ)市立墓地に仮埋葬された後、放置された状態でした。 死刑になった部隊員4人は銃殺の直前にこんな遺言を残したそうです。 - 国家について話すこともできず、死んでいくのが残念です。私が死んでも家に知らせないでください。 - 海の真ん中で両親をきちんと呼ぶことができず、満3年間孤独に過ごし金日成(キム・イルソン)主席の首を切ることができずに死ぬことを残念に思います。 - 3人の子供が一番かわいそうです。会いたいです。 - 国家のために戦えず、国民に後ろ指を差されながら死ぬのが悔しいです。 |