A. | 1980年代、韓国の20代の青年の中で早死にした人を挙げろと言うなら、芸能人よりは民主化運動に青春を燃やした大学生が先に浮び上がります。 イ・ハンヨル、カン・ギョンデ、パク・ジョンチョル。 今日、政治の自由を満喫する韓国人は彼らに借りがあります。一時は、真実と正義を叫んだ者が権力と富と虚名をうらやましがるのは、過去の同志たちに恥ずかしくないのでしょうか。 短い人生、彼らは民主烈士の称号を得るために必死に叫んだのでしょうか?心からやりたいこと、やってみたいことが、とても多かったはずです。 20代前半で生涯を終えた芸能人は、自分の才能を存分に見せることもできませんでした。 2016年12月、セウォル号惨事の犠牲者のための追慕曲、『不忘-Always Remember』でデビューしたTANY(本名キム・ジンス)は、2018年4月、木浦(モクポ)に行く途中、高速道路の構造物に突っ込んで車両が全焼して亡くなりました。 映画『密行』、『光はどこへ』で主役を演じた俳優ムン・ギョンヒは、1975年に交通事故で短い生涯を終えました。 演技もして歌も歌っていたパク・ギルラは、21歳の時、若い歳で突然、家族のそばを離れました。死因は心臓麻痺です。 グループ、WANTEDのメンバーだった歌手、ソ・ジェホは2004年、釜山(プサン)の海雲台(ヘウンデ)で公演を終えて、次の公演地である江原道(カンウォンド)江陵(カンルン)鏡浦台(キョンポデ)に行く途中、トラックを追突する交通事故で、その場で息を引き取ってしまいました。当時の歳は24歳です。 事故から数日後、コンサートにゲストで登場した歌手フィソン(チェ・フィソン、崔輝晟)は、舞台挨拶で「数日間、酒だけを飲んで過ごしたので喉の状態が悪い点を理解してほしい」 と話して「友達が死んで平常心を保つには、酒で持ちこたえるしかなかった」と胸の痛みを吐露しました。 余談ですが、同日東方神起も交通事故に遭いましたが、東方神起のファンクラブ、カシオペアに「うちの東方神起の代わりに死んでくれてありがとうございます」という妄言が出てきてアイドルのファンダムの深刻な問題を露わにしました。 5人組で出発したガールグループ、Ladies Codeは不幸にも交通事故で二人のメンバーが亡くなってしまいました。
在日韓国人4世のリセ(クォン・リセ、権梨世)とウンビ(コ・ウンビ)は、2014年9月、京畿道(キョンギド)新葛(シンガル)で起きた不意の交通事故で命を失いました。この事故で車に乗っていたウンビは現場で息を引き取りました。
学生時代「伝説の美しい姉」と呼ばれたウンビは、美しい顔に愛嬌も満点のアイドル歌手でした。本来の夢は、演技者でしたが、デビューした後、歌唱力も上達してサビを引き受けたりもしました。 SNSに自撮り写真を載せてファンたちと疎通した21歳の夢多き少女は大邱(テグ)で撮った『開かれた音楽会』を後にして、舞台を離れてしまいました。
事故が起きた車両に一緒に乗っていたリセとソジョン(イ・ソジョン、李昭政)も意識不明状態の重態に陥りました。ソジョンは幸い意識を取り戻しましたが、リセは腹部損傷による過多出血と深刻な脳浮腫で事故発生から105時間後に世の中と離別しました。 リセは、あるファンの「一番守りたいメンバーは?」という質問に「ウンビ」と答えたことがありますが、彼女が亡くなった後、ファンたちは「リセは、一歳幼いウンビを守りに行ったようだ」として悲しみを隠すことができませんでした。 リセは、今でもウンビが埋められた京畿道広州(クァンジュ)市、五浦邑(オポウプ)スカイキャッスル追慕公園に一緒にいます。* Ladies Codeのファンたちは「音源チャート1位」が夢だったウンビのためにウンビが好きだった歌『I’m Fine Thank You』のストリーミングを始めました。そして、他の歌手のファンたちも加勢して音源チャートを総なめし、生前のウンビの夢を叶えました。 ウンビとリセは高麗(コリョ)大学安岩(アンアム)病院で葬儀を行った後、ソウル追慕公園で火葬されました。リセは火葬された後、生まれた日本に移送されてもう一度葬儀を行った後、父親が安置されている奉安施設に安置されました。しかし韓国ファンたちはウンビがいる追慕公園にリセの追慕空間も一緒に作りました。 |