A. | 論客であるチン・ジュングォンはかなり鋭い話し方を誇っています。時には、芸能人の味方になって支援射撃も拒みません。 MCモンがカムバックした当時、ネチズンの非難が強まって、「芸能人は国から給料をもらう公職者じゃないんだから、見たくなければ見なければいいじゃないか。エブリバディ・ハッピー」と主張しました。しかし、自分の才能を信じて時々失敗をする時もあります。 チン・ジュングォンは多分「ソン・ジソン」の名前三文字を思い出すと顔がほてるでしょう。 ソウル瑞草区(ソチョグ)のオフィステルの19階にある自分の家でふとんをかぶったまま投身する前に、ソン・ジソンは自分のTwitterに救助信号を送りました。 KBS Nスポーツでリポーターとしてテレビに出演したソン・ジソンは、「スポーツリポーター」として立志伝的な人物です。野球ファンたちの間では女神と呼ばれたりもしました。 ソン・ジソンの不幸は、7歳年下の野球選手を愛しながら始まりました。 彼女が残した記録から見れば野球選手が先にアピールをしたようです。 「ここにいると、好きだ、付き合いたいと告白をする選手たちが結構います。OOもそのうちの1人でした。2008年の秋、彼は私に近づきましたが、年齢差もあったし怖かったので必死で断りました。 …ところが私は彼のことが目に留まるようになったのです。そうするうちに車の中で関係を持つようになりました。それから連絡がなくなりました。そうして1年が過ぎました。その後もずっと彼に会わざるをえない仕事なので、仕事に集中することはできませんでした」 結局、彼女は放送を降りてしまいました。 放送局に入社する前、スタディグループまで参加していましたが風邪を引いたまま試験を受けたせいで試験に落ちて泣いたりしました。応援するチームがずっと負けて、ご飯も食べられなくて泣いた思い出があったのでソン・ジソンは野球を中継する放送に身を置いているという事実だけで喜んでいました。3時間余りの中継の中で5分しか出られなくても、その世界に足を踏み入れただけで感極まってた彼女は男によって人生の境界線を越えてしまいました。 なんと30歳の誕生日の5日前でした。 一緒に放送を進行したキム・ミンアアナウンサーは泣き声になりながら、死亡の知らせを伝えて、MBCスポーツも追慕映像を流しましたが、彼女の葬儀室には野球選手が誰一人、訪ねて弔問をしませんでした。カン・ミンホなどごく少数の選手だけがTwitterで哀悼の意を表しただけです。 野球場で喜怒哀楽を共にしたアナウンサーの死に対して、こんなに無関心だった理由は何でしょう? |