A. | 以前は一家に子供が4人程度いましたが最近は第三子もとても貴重となりました。 慶南(キョンナム)昌原市(チャンウォンシ)は三番目の子供を出産すると、1億ウォンを奨励金として支給するという衝撃的な支援策まで出しました。 子供をたくさん生む夫婦が愛国者になった世の中です。 そのため、3人の子どもを連れて『スーパーマンが帰ってきた』に合流し孤軍奮闘することになった俳優のユン・サンヒョンに応援の拍手を送るべきでしょう。 ユン・サンヒョンが6歳年下のシンガーソングライター、MayBee(本名:金恩智)と結婚したのが6年前の2015年2月です。その年に長女のナギョムを出産し、2年後にナオン、翌年に三女のヒソンを出産しました。夫婦仲が結構良いようです。 * 釜山(プサン)出身で、育った所は出産奨励金を与えるという昌原です。イ・ヒョリの「10minute」を作詞し、所属事務所Pledisエンターテインメントが輩出した最初の歌手でもあります。 「タドゥンイパパ」(子沢山のパパ)のユン・サンヒョンは「演技とは程遠い人生を生きてきました。衣服の商売と軽食店を運営していたところ、日本のスター木村拓哉に似ている外見により企画会社にピックアップされました。歌手としてデビューするためボーカルトレーニングを受けていた時、プロフィール写真を見たドラマ作家とPDの目にとまって俳優に転向しました」 デビュー作品はSBSドラマ『百万長者と結婚すること(2005)』。 当時ユン・サンヒョンの年齢が32歳でしたから、かなり遅いデビューになります。もちろん演技の「演」の字も知らない駆け出しでした。その作品の演出を引き受けたカン・シンヒョ監督はユン・サンヒョンの眼差しが気に入ったという理由で浮気者PD役を任せました。 キャスティング後、ユン・サンヒョンは監督から3か月間の演技指導を受けましたが、一向に良くなる気配が見えなかったようです。カン・シンヒョ監督は最後の手段として元老俳優のパク・グンヒョンに彼を頼みました。その時「ドラマを諦めろ」とまで言われるほどものすごく怒られたそうです。演技者への夢もあまりなかったし自分の実力もよく知っているのでユン・サンヒョンは泣きながら監督に電話をして「もうできません」と吐露したそうです。監督の説得で結局ドラマに出演することになりましたが、ユン・サンヒョンの演技のおかげ(?)で、フランスロケーションの撮影分を撮り直すために韓国にセットを作ったため多くの制作費がかかったそうです。 こんな状況だた俳優ユン・サンヒョンは2年かけて、ついに換骨奪胎しました。 2007年、ドラマ『冬鳥』(MBC)で、ママボーイ役を演じましたが、サイコでありながらも可愛らしい弱虫の演技をしっかり披露し主演俳優への関心を独り占めしました。視聴者はドラマのタイトルを「チョダセ」、「チジルセ」に変えて呼ぶほどでした。その後『僕の妻はスーパーウーマン』(2009、MBC)などを経て演技者としての立場を確固たるものにしました。 ユン・サンヒョン一家のテレビ出演は、『スーパーマンが帰ってきた』が初めてではありません。すでに2年前の2019年3月、SBSの人気バラエティ番組『同床異夢-君は私の運命』に出演し子供3人を育てる育児ダディの話を率直に語りました。 2年ぶりに再びテレビに姿を現したユン・サンヒョンの3人の子供は、いつの間にか大きくなってしまいました。子どもたちが成長する姿からも歳月の速さが分かることを証明するかのようにです。 ユン・サンヒョンの年齢は50歳近い40代後半です。3人の子どもに合わせた完璧な父親の姿を見せようと努めている、不都合が起こるのではないかと心配にもなります。妻のMayBeeも、夫が初めて一人で3人の子どもの面倒を見るために自分におろそかにならないか心配している様子です。 |