解説 | ハングル:우라까이 ハングル発音:ウラカイ 意味:他メディア(他人)の記事に少し変化を加えて自社メディアの記事として使い回すこと 解説:記事の内容やポイントとなる部分を使いまわす慣行を意味する韓国記者社会の日本語だ。ただし日本にはない日本語だ。「裏返す」という日本語が変形したと推測されている。 社会部の次長は今、困りに困っている。 記事の締め切り時間が5分しか残っていないのに会見現場に送った記者からは「もう少し待って」という言葉ばかりで情報が寄せられず、部長はどうして記事がこんなに遅いのかと急かすせいで狂ってしまいそうだ。 これ以上は記者の情報を待っていられないと感じた次長は連合通信の記事に手直しを加え始めた。ここは削って、ここは単語を少し変えて、なかった話を少し加えて、自分の名前を書いて提出した。 そして10分後、現場にいた記者が記事を送ってくる。 連合通信の記事をそのまま写したような記事だ。次長はため息をついて、タバコを吸いながら外に出る。 まったく悪い慣行だ。しかし、どうしようもない。記者社会も人間の暮らす社会なのだから、これくらいは目を瞑るべきだ。この程度? いや記事に自分の新聞社と記者の名前まで書いておいてこの程度だなんて? 本当に重要な記事だったら、読者や視聴者が関心を持つ内容なら報道しなくてはいけない。 もちろん、他のメディアが伝えた記事が事実なのか確認しなければならないが、事実確認以前に知らせることが急務なら「○○によると」とこのように伝えればいい。 その後に追加で取材して進展した内容を紹介して真実を探して伝えることがメディアの正道であることだろう。 ウラカイが慣行として感じられるほどなら、メディアは腐敗しているのだ。 他人の文、他の人の知的財産権を無断で盗用したのと同じだから。 アメリカのニューヨークタイムズは2003年、インタビューを行っていないにもかかわらずインタビューしたように記事を書いた記者の欺瞞的な行為を明らかにした後、この事件を1面記事として扱い、4面に広告を載せずに謝罪の記事を載せた。 ウラカイが全世界の記者社会ではなく、韓国の記者社会に毒キノコのようにはびこる慣行なのだとしたら、清算するべき慣行だ。 |