Q.なぜ韓国人は歌が上手なのですか?

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A. 韓国人のすべて、つまり1歳から99歳まで、歌手になることができる公平な機会を与えるとうたって始まった番組があります。おそらくご存知だと思いますが、『スーパースターK』という、そう、その番組です。

2009年に初めて放送されましたが、当時のケーブル放送界では視聴率が2%になっただけでも大ヒットと言われていた中で、なんと7.7%の視聴率を記録しました。スターがスターを選ぶ方式でオーディションが行われるため、参加した人の中には必ず歌手になりたいというよりは、スターを間近見たいがために訪れた人もいたことでしょう。

とにかく、ソウル、釜山、大邱、光州など8つの大都市を巡回して予選審査を行いましたが、志願者が71万3503人も集まったそうです。そのため、予選を受けるためには長い時間並んで待つ必要がありました。歌手になりたい志願者であれば、自称であれ、他人からの推薦であれ、歌が上手だと思っているはずなので、韓国人の中で歌が上手な人はそれなりに多いようです。

ここに、カラオケやバーでマイクを握って歌う人も合わせると、指で数えることはできなさそうですね。

当時のエピソードを一つ紹介すると、光州地域の予選で起こったことなのですが、16歳の少女が予選に参加しようと並んでいたときにトイレに行こうと席を空けました。ところが、その場でJYPのスタッフにバレて(?)すぐにキャスティングされました。ガールグループmiss Aの末っ子スジ(裵秀智)がまさにその少女です。

『スーパースターK』に参加するために並ぶ人は毎年増え、一時は200万人に達したりしたので、韓国人に歌が上手だという称賛をして、全国民が仕事をせずに歌だけ歌って遊んでいるような「キリギリスの国」になってしまわないか心配でもあります。

韓国人は歌が上手なのでしょうか。おそらくオペラ歌手が聞けば首をかしげるかもしれません。ずっと前の話ですが、ある韓国人の男性テノール歌手がイタリアに留学に行ってのですが、船を漕ぐ船頭が歌うアリアを聞いたとき「普通の人もあのように歌が上手なのか」という思いから挫折したと吐露したことがあります。

日本人から見ると、韓国人は日本人より歌が上手であるかのように見えるのかもしれませね。

まず、韓国人は歌うことが好きです。音痴だと思っている人も、職場や学校のサークルのイベントでご飯を食べてカラオケに行ったときについていかないことはありません。歌が上手ではなくても、十八番の曲を決めておいて、マイクを掴むたびに歌い続ければ、いつの間にかそれなりに上手にもなるというものです。

「おい、お前、歌の実力が上がったな」という賞賛でも言われることになったら…。韓国には「賞賛はクジラをも踊らせる」ということわざがあるのですが、本当に歌が上手になることもあるでしょう。他の曲にもだんだんと挑戦するようになったりするでしょうしね。

韓国人が東アジアでは歌が好きな方だという事実は、記録にも残っています。

朝鮮時代の末、韓国を訪れた外国人たちが残した文の中で、韓国人は歌が好きだという記録を見つけるのは難しいことではありません。

フランスの神父ダレ(CC Dallet)は「朝鮮教会史序説」で「村ごとに太鼓とラッパ、複数の釜のふたがあり、夏のきつい労働の時期に、しばらくの間、手を休めて精一杯合奏し、疲労を解く」と書いてあります。ドイツの商人オッペルト(Ernst Jacob Oppert)も「アジア民族の中で朝鮮人よりも音楽に対して熱心な愛好心を持った民族はいないだろう。軍部の大臣がアコーディオンの演奏に感動して厳粛な態度を捨てて、リズムに合わせてダンスを踊って歌を歌った」という記録が残されています。

駐韓米国大使館で広報官として勤務したパトリック・リネハンは、1997年、『週間朝鮮』に寄稿した文で「韓国は自分が行ってみた多くの国の中で歌を最も多く歌う国だ」と所感を明らかにした。

「どんな国でも、すべての人が韓国のように歌が上手な場合は、見たことがない。韓国人はいつでもどこでも歌う姿勢ができている。一人でも歌うし、大勢が一緒に歌うこともある。ラジオに合わせて口ずさむ時もあれば、テレビの歌番組を見ながら一緒に歌うこともある。道を歩いていたり車を運転しながら歌う。5年間、日本で勤務しながらカラオケによく行き、いくつかの大会で賞をとったこともある。しかし、何か一つ抜けたものがある。日本人は韓国人のような「歌う人びと」ではないという点だ。韓国人は歌うために生きているのだ。野球場で観客は数え切れない曲を歌うのだが、一体この人たちは野球を見に来たのか、歌いに来たのか区別できないほどだった。今まで韓国の歌の中で最も驚いたものは、日曜日の明洞聖堂のミサに行ったときの合唱だった。米国の大聖堂では一緒に歌うことは無理やり行うことだという考えがあったが、韓国のカトリック信者は実際に歌いながら幸せそうだった」(週刊朝鮮から転載・翻訳)

リネハンの言葉のように韓国人はどこででも歌います。独裁政権に抵抗していた学生は闘争歌謡を作り出し、ストライキ現場に立った労働者も闘争歌を歌いながら仲間と肩を組みます。

昔から韓国人が歌うことを好んだ理由を、学者たちは恨(ハン)から見つけ出します。韓国の伝統的な社会が抑圧的な社会であったため、抱えきれなかった内面の痛みを歌うことによって慰めたという説明です。解けない怨恨(怨み)を外に表出する方式が歌であるため、歌の中でも、一人で口ずさんたり奏でる独唱が発達したという主張もあります。

見方を変えると、故郷で奴隷商人によって不自由な身となり、異国の地で鎖につなげられた黒人たちがジャズとブルース、ソウルを発展させたものと同じ脈絡なのでしょう。黒人音楽も通常は独創や独奏曲として演奏され、絶望的な恋しさを表現した曲が多い点も韓国の音楽と似ています。

入学試験に落ちて、就職しようと向かった面接では恥をかいて、寂しく家に帰ってくる途中でカラオケに寄り、マイクを持って狂ったように歌う青年のことを考えると、多くの韓国の先祖たちの姿が投影されるようでもありますね。

  • < 檀園(タンウォン)金弘道(キム・ホンド)の布衣風流 >

  • Lim, Chul
  • 入力 2015-05-28 09:00:00

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