Q.パク・ボヨンはどんな女優ですか?

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A. パク・ボヨンには非常に独特な趣味があるといいます。

自分が出演した映画が公開されると、トイレに隠れて映画を見た人々の評価を聞くことです。映画を見た直後にトイレで交わす会話であるため、本当に率直な感想が出てくるはずです。

トイレの便座に座って自身の演技について騒ぐ人々の話を聞く時は、身体も心も空にしていることでしょう。

  • < 写真=フィデス・スパティウム(Fides Spatium)>

パク・ボヨン(朴寶英)は、2006年にSBS『秘密の校庭』でデビューしました。当時16歳だったので子役俳優と呼ぶには少し中途半端ですが、2015年にtvNドラマ『ああ、私の幽霊さま』で成人の役を引き受けるまで、ほとんど少女役を演じていたわけですから、非常に幼い年齢でデビューしたというイメージがあります。

パク・ボヨンは、軍人の父を持つ3姉妹の2番目として素朴な田舎少女に育ちました。山や野原でバッタとトンボを捕まえながら成長しました。

厳格な家庭で育ちましたが、言うことは言わなければならない度胸も持っています。ある雑誌とのインタビューで明らかにしたエピソードは、このような彼女の断面を見せてくれます。

「私が卒業した中学校は、学則が非常に厳しかったです。ヘアゴムは黒ゴム、靴下は白で足首まで上がる長さのものだけを履くことができました。友人たちと足首よりも短い靴下も履けるように抗議しようと意見を集めました。ところが、先生の前に立つと友人が何も言わないんです。だから『えい、知らない、私だけでも言って帰らなきゃ』と口を開いたのです。足首が短い靴下が価格も安く、買うのも簡単で、これは風紀紊乱ではないのではないのかと言いました。そして、教務室に連れて行かれ、2カ月間反省文を書きました。私が何を間違ったのか分からないまま、文字を書く練習をしたようなものです」

この時に積んだ実力が映画でも発揮されました。

パク・ボヨンをスターにした映画『過速スキャンダル』のオーディションを受けたとき、自身の存在を否定する父親チャ・テヒョンに鬱憤を吐き出すシーンを披露しましたが、パク・ボヨンの即興的な台詞が元のシナリオよりも良いと思った監督がシナリオを直したといいます。

「他の人もみんなお父さんがいるじゃない、みんないるじゃないの。私はどうしてお父さんがいるのに、いないと言いながら生きなければならないの? 私が出てきたくて出てきたの? 私は静かに生きるって言ったじゃない、私が何をそんなに間違ったの?ここにある私の目、この鼻、これ全部お父さんが作ったんじゃない。私、ここにいるじゃない、どうして私がいなくなったらと思うの? 私はここにこうしているじゃない、どうして?」

パク・ボヨンはとても偶然なきっかけで演技に興味を感じました。中学生の頃の学校のサークルで、お金がなくてマネキンの代わりに体格が小さいパク・ボヨンを立てたことが、彼女が女優の人生を生きるようになったきっかけでした。サークルで作った短編映画『Equal』が青少年映画祭で賞を受け取り、映画祭に参加した芸能界関係者の目に止まりキャスティングされたわけです。

高校時代にはソウルと忠清北道の曾坪(チュンピョン)を行き来しながら、学業と演技の授業を並行しました。デビューする前に韓国水力原子力の公益広告に、空から降る雪を眺めながら笑う女子高生として5秒間姿を映しましたが、この時、最初のパク・ボヨンのファンカフェが作られたといいます。5秒で魅了されてしまったファンが多かったという話です。

2006年にEBSドラマ『秘密の校庭』でデビューした後、SBSドラマ『魔女ユヒ』、『王と私』、KBS青少年ドラマ『ジャングルフィッシュ』などに相次いで出演しました。そして、2009年に人生のターニングポイントになる作品に出会いました。

駄目だろうという予想を崩して820万人の観客を集めた映画『過速スキャンダル』ですね。映画の撮影をする時も真剣でしたが、パク・ボヨンは映画興行のために100回を超える舞台挨拶をして回りました。この映画でパク・ボヨンは百想芸術大賞、青龍映画賞などの8つの新人賞を総なめにしました。韓国映画界でパク・ボヨンは出演交渉をしたい女優1位となり、「パク・ボヨンを掴まえろ」という言葉まで出回りましたが、その後2年間も次期作品に出演できませんでした。

当時の所属事務所であるヒューメインエンターテイメントとの摩擦によるものでした。所属事務所は、パク・ボヨンの価値が上がると、フィギュアの女王キム・ヨナの人気までを結合したフィギュアスケートの映画を作る計画を立てました。そのために、意図的に他の作品への出演に邪魔をして、パク・ボヨンは『善徳女王』、『華麗なる遺産』などに出演する機会を逃してしまいました。

  • < MBCトークショー『遊びにおいで』(放送終了)に出演して父の手紙を読んでむせぶパク・ボヨン >

所属事務所の半強要でフィギュア映画に出演しようとフィギュアスケートを学びましたが、年を重ねてから学んだスケートでキム・ヨナを演技するということが簡単なことでしょうか。打撲によるあざができ、最終的には健康悪化で出演をあきらめてしまいました。映画制作が失敗に終わると、共同制作会社がパク・ボヨンを詐欺の疑いで告訴し、所属事務所と契約解除訴訟を起こすようになります。

当時を覚えているパク・ボヨンは、「その時大変じゃなかったら、この仕事に対する感謝を知らなかったと思います」という言葉を残しました。

スクリーンに復帰したパク・ボヨンは、2012年に映画『私のオオカミ少年(邦題)』で従来までとは違う姿で再起に成功しました。

パク・ボヨンは『私のオオカミ少年』のシナリオを読んでは、とめどなく涙を流したといいます。そして出演する予定だった映画制作会社に了解を求め、『私のオオカミ少年』の出演を決心しました。『私のオオカミ少年』の演出を引き受けたチョ・ソンヒ監督は、パク・ボヨンに会った瞬間を「まるで映画の中の少女が歩いて入ってきたようだった」と言いました。

表面上は冷たいようでも、暖かい心を持った少女です。

マーケティング費用まで50億ウォンを使った『私のオオカミ少年』は、なんと760万人の観客を動員し、メロ映画最高の興行記録を立てます。

今ではテレビでもパク・ボヨンを見ることができます。毎週金曜日と土曜日の午後11時に放映されているJTBCドラマ『力の強い女ト・ボンスン』(2月24日初放送)に出演しています。先天的にものすごい怪力を持つ女性ト・ボンスンが、男性たちとハードコアロマンスを繰り広げるといいますが、小柄のパク・ボヨンがどのような力を見せるのかが楽しみですね。

  • < 小さな手で、凶器を持った悪人を制圧するパク・ボヨン >

パク・ボヨンは芸能人としては珍しく自由な生活を享受する女優です。

あるラジオで「有名になったため大変ではないか?」という質問を受けると、「背が小さいため、帽子をかぶっていると、目元が隠れて分からない。身長が低いので頭頂を見るだけでは、私が誰なのか分からないか」という返事をしました。教保文庫にもよく行き、友達と旅行も行き、彼女の日常は一般人と大きく変わらないでしょう。
  • Lim, Chul
  • 入力 2017-02-28 00:00:00

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