Q.家父長制は韓国歴史の伝統でしょうか?

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A. チャンガ(丈家、장가)に行く、 シジプ(婚家、시집)に行くという言葉があります。
辞書を見ると、チャンガは男が妻を迎えること、シジプは舅姑が住んでいる家と解説されています。二つとも結婚するという意味で、チャンガは男側、シジプは女側が使う言葉です。

シジプが夫の家ならば、チャンガは何ですか?
チャンガは本来、純粋な韓国語ですが、漢字を借りて丈家と書いたりもします。
妻のお父さんをチャンイン(丈人)、妻のお母さんをチャンモ(丈母)と呼ぶのを考慮するならばチャンガは妻の家を意味していることが分かります。

チャンガに行くという言葉には「男が結婚して妻の実家で暮らす」という意味が含まれています。
韓国人の人生を記録した歴史のあるページには妻の実家での暮らしが決して珍しくなかったことを意味しています

そうです。
「殻麦3斗さえあれば、妻の実家で暮らすものか?!(仕方ないから妻の実家で暮らす)」
「出嫁外人(嫁いだ娘は他人に外ならぬ)」
「一夫従事(一人の夫だけに仕える)」

この言葉は朝鮮王朝になってから生じたのです。
家父長制は韓半島数千年の歴史にかけて伝わってきたものじゃなくて朝鮮王朝600年の間に生じた伝統ということです。

韓半島で三人の女王を排出した王朝である新羅では女性たちの相続権と経済権が保障されたし、結婚した後にも夫の地位を借りなくても自分の品位を維持できました。

KBSドラマ『大祚榮(2007年)』でBaby V.O.Xのシム・ウンジンが当代最高の妓生(キセン)であり刺客役で登場しましたが、事実、渤海の女性たちは凛々しくて勇敢だったという文献があります。渤海の女性が将軍になって契丹との戦場に行き勝って夫を救って帰ってきたという「ホンラニョ伝説」もあります。

渤海には人類歴史上、最も長く続いた職業である売春がなかったそうです。

渤海の男性たちは妾も置くことができなかったと言われます。もし渤海の男性が妾を置いたとしても、夫が外出した時に夫人が共謀して、その妾を毒殺した記録まで伝えられるので、渤海の男性たちはただ妻だけを眺めて生きなければなりませんでした。

それだけ女権が強かったという意味です。実際、渤海ではお辞儀をする時も男性はひざまずくが、女性はひざまずかなかったとも伝えられています。

高麗時代だけ見ても官職になった女性はいませんでしたが、少なくとも日常生活で女性の権利は男性とほぼ対等でした。高麗の宰相パク・ユ(朴褕)は、出産奨励政策として妾を置こうという建議をして、婦女子から「貧しいおっさん!」という悪口を言われて非難を受けました。結局、パク・ユは自分の建議を取り消しましたが、それだけ高麗の女性の力が強かったという証拠です。

夫と早くに死別して一人で夜を過ごす朝鮮の女性を見ると、高麗の女性は情けないと呆れてたでしょう。一夫従事?高麗の女性には、そんなものはありませんでした。

高麗の女性たちは財産も息子と同じように相続を受けました。家の戸主になることもできました。記録を調べれば娘が財産をすべて受け継いで、幼い息子は服一式、紙一枚しか受け継ぐことができなくて不当さを訴える内容もあるほどです。

権利に従う義務も同じように負担しました。高麗の女性たちは両親の奉養も息子と同じように行ったし、先祖に対する法事も「輪行」として息子と娘が交代で喪主の役割を受け持ちました。

女性たちの再婚が自由だったので離婚率も相当高かったのです。女性の財産を見て、本妻と別れた後、新たに結婚しようとする男も多かったそうです。

当時、高麗に来た中国、宋国の使節が「高麗の人は簡単に結婚して簡単に別れるから、礼法を知らない」と記録していたほどです。

これを紊乱だと感じたのでしょうか? こういう自由な風習が朝鮮王朝になってから、ひっくり返ってしまいました。女性の再婚を防ぐだけじゃなくて、社会的経済的権利まで剥奪してしまいました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2019-03-04 00:00:00.0

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