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春川に悲運の彫刻家、権鎮圭の美術館が開館

「悲運の彫刻家」権鎮圭を知っていますか 

    「人生は空であり、破滅だ」。

    1973年5月4日、それほど特別なことのない一日だった。天才彫刻家の権鎮圭(クォン・ジンギュ、1922~1973)は朝早く起きて高麗大博物館に向かう。自分が寄贈した作品『自刻像』と『比丘尼像』をながめるためだ。何気なく帰宅した彼はしかし意図したように遺書を書き、アトリエに行って自ら命を絶つ。 「人生は空であり、破滅」という絶望的な言葉を弟子に残したまま。知天命をこえた52歳だった。

    日本留学まで行った天才の死に、美術界は大騒ぎになった。不安定な生と生活苦、時代との不和がけっきょく感受性の強い芸術家を死に追いやった。当時、彫刻界は抽象美術が大勢をなした時代で、写実主義の人物像にさきがけた権鎮圭の作業は冷遇を受け、死という悲劇を生んだわけだ。彼の名前の三字の前に「悲運の彫刻家」という修飾語がつく理由だ。

    天才として崇められたが、まだまともな記念館の一つもなかった権鎮圭美術館が来月5日、春川にて開館する。結婚は何度かしたが、膝下に子を置かなかった彼だ。

    美術館を設立した者は高校の後輩であり、美術愛好家であるキム・ヒョンシク テイル鉱業代表。 20年あまり前から権鎮圭作品を根気強く集めてきたキム・ヒョンシク代表は、「作家の自刻像を所蔵したくてあちこちにあたってうちに、作家の弟であるクォン・ギョンスク氏を知ることになり、彼の提案で美術館を建てた」と語る。

    1922年に咸興(ハムン)で生まれた権鎮圭は、春川で高校を出た。

    空気の良いところで勉強するようにという両親の意によって、11才の1938年4月に春川公立中学校(現チュンチョン高校)に入学して1943年3月に卒業した。その後、日本の有名美大である武蔵野美術大学に入学して1950年には最高賞を受け天才と呼ばれた。大学で出会った日本女性と結婚して6年間の結婚生活をおくったが、一人で1959年に帰国した。

    彼は石とテラコッタ(焼き粘土)、乾漆(漆技法)で知人と周辺人物をモデルに、数多くの肖像と自刻像を残した。人物像はすべて知人や恋人をモデルにした。作品タイトルも『ジウォンの顔』をはじめ、『ヘジョン』『サンギョン』『ソンジャ』など実名を付けた。しかし、個人の肖像というよりも、人間の起源の原型と純粋さを探求しようとした作家精神の記録に近いという評価だ。

    今回の開館展のテーマは「権鎮圭と女性」。日本で結婚した最初の婦人であるトモの顔を刻んだ石の作品をはじめ、30点余りが展示される。すべてキム・ヒョンシク代表のコレクションだ。美術評論家のチェ・ヨルは「人間の深淵をこのように奥深く形象化した彫刻家が世のどこにいるだろうか」と礼賛した。

    死後15周忌の1988年に湖巌ギャラリーで、2009年には徳寿宮美術館で大規模な回顧展が開かれた。

    日本から戻って以来、1973年に他界するまでの作業活動を行ったソウル市城北区の東仙洞アトリエは2004年に登録文化財に指定されており、現在はナショナル・トラスト文化遺産基金で保全・管理している。展示は来年5月31日まで。 (033)243-2111

    • < ジウォンの顔」(1967、ブロンズ、49x32x27cm) >

  • 毎日経済_イ・ヒャンヒ記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-11-24 17:12:03